渡辺通一丁目の飾り山笠は、福岡市中央区渡辺通1丁目1番1号に建つファッションビル『サンセルコ』前の広場に立つ飾り山笠。「渡辺通り一丁目」と書かれる事もあるが、送り仮名の「り」は付かない。
大きな奉賛先を持たず、地元の商店、企業、医院、町内会などからの小口の浄財だけで運営を行っており、約400件の寄付によって飾り山笠が奉納されている。
表の標題は、武者物や伝奇物などの山笠の伝統的な飾りが採用され、見送りの飾りには渡辺通り沿いに福岡放送(FBS)があることもあり、FBSで放送されるテレビ作品が採用される事が多い。
特に見送りの飾りについては、近年は幼児に人気がある「それいけ!アンパンマン」の映画が採用される事が続いており、親子連れの見物客の姿が多い。子供の見物客も多い事から、スケッチ大会も長年開催している(1961年(昭和36年)にはすでに行われている)。
博多駅や天神の中心部から少々離れた場所で、見物に行くにはバスか天神南駅から地下鉄を使っていくしかなかったが、2023年3月27日に福岡市地下鉄七隈線が博多駅と連結し新駅「櫛田神社前駅」が開業した事から、櫛田神社から手軽に見物しに行けるようになった。
1910年(明治43年)に設立された博多電気軌道株式会社が、1911年10月に電車道を整備。下警固法印田(現在の博多大丸・西日本新聞社の位置)から住吉までの電車道に、電気鉄道の設置を説き福岡市発展の基礎を築いた渡辺與八郎の名前を冠して「渡辺通り」という通称を名付けた。
第二次世界大戦前、博多区大博町にあった遊廓が渡辺通1丁目の南側に移転すると店舗等が増加。戦争直後は闇市が立ち並ぶ一大繁華街になり、その繁栄から「博多の新宿」とも呼ばれた。
1970年代には再開発事業が行われ、1978年9月にホテルニューオータニ博多が開業、1979年3月にサンセルコが開業する。
1951年(昭和26年)、「一丁目流」が誕生。飾り山笠の奉納を始めた。山小屋の場所は大門通り(現在のサニー渡辺通店辺りに建てられていた)。標題は表が「義経千本桜御殿」、見送りが「吉野山道行」。
翌年の1952年(昭和27年)、名称を一丁目流から「南流」に変更。この年からは舁き山笠の奉納も始めた。福岡部の舁き山笠が追い山笠に参加するのは山笠史上初。番付は末番の「十三番山笠・南流」。標題は表が「曽我孝悌鑑」、見送りは「金瓢智勇誉」。1964年(昭和39年)に博多ステーションビルの飾り山笠が登場するまでは、当時の高さで11.5メートルと市内最大級の飾り山笠を誇っており、町の人達の自慢だったという。
なおこの年は舁き山笠が13本も奉納されている山笠史上最も舁き山笠が多い年で、記録では「櫛田神社前の山留めに13本の舁き山笠が勢ぞろいして壮観」と記されている。また、追い山笠の櫛田入りは例年通り午前4時59分から開始。一番山笠・中洲流の後、各流は5分ごとに続いたのが、最後の十三番山笠・南流が櫛田入りしたのは午前6時。その時はすでに夜は明け切り夏の空が広がっていたという。
1966年(昭和41年)6月26日未明に、松屋通商店街の店舗から漏電による火災が発生。店舗16戸が全焼、スーパーマーケット「サニー」など3戸が半焼した。山笠飾りを保管していた倉庫は幸いにも火が及ばなかった事から「暗く沈んだ地元民を励ますために、立派なヤマばつくろう」と飾り山笠の奉納を決定。「非常時に山笠もあるもんかという人もあるかも知れないが、山笠は神聖な行事であり、地元民を元気づけ、再びこんな事故が起きないよう祈願する意味もこめて、予定どおり山笠を建てることにした」として飾り天笠が立てられ、地元民の人達を元気づけた。
だが、南流の舁き山笠は、櫛田神社から約1.5キロ以上離れた遠い場所にあり、また人員不足という事もあって、1959年(昭和34年)を持って奉納を終了。
1960年代以降は店舗の老朽化が進み商業圏が変わっていったことで人足が遠のき始める。福岡市はこの商業圏の大規模な再開発事業に着手。その影響を受けて、飾り山笠奉納も1969年(昭和44年)を持って中断することになる。
1971年(昭和46年)に再開を検討された事もあるが、山笠を出していた土地に建物ができ、また商店街の道路に立てると交通渋滞の原因になるとも考えられ、立てる場所を遠くしたら宣伝効果が薄くなるため、復活が見送られている。
1979年(昭和54年)、福岡市の再開発事業が終了。1978年9月にホテルニューオータニ博多が開業、1979年3月にサンセルコが開業した事で、10年ぶりに飾り山笠の奉納を再開した。山笠参加を決めたのが、山笠期間突入ぎりぎりの5月末だった。『もっと早く結論を出したかったが、どんたくに追われ意見調整に時間がかかった』という。再開を機に、名称も「渡辺通一丁目」と改められた。
復帰した年の番付は『十七番山笠・渡辺通一丁目』で、標題は表が加藤清正を描いた『智将豪勇の誉』、見送りがテレビの人気番組『西遊記』。人形師は南流時代から担当している中野親夫師。
1951年(昭和26年)より「一丁目流」「南流」と飾り山笠を奉納しているが、「博多の銀座」に立てる商店街の飾り山笠という事で大型で目立っていた飾り山笠を作っていた。1964年(昭和39年)に博多ステーションビルの飾り山笠が登場するまでは、当時の高さで11.5メートルと市内最大級の飾り山笠を誇っており、町の人達の自慢だったという。
また、1969年(昭和44年)はアポロ10号が人類初の月面着陸を果たした年で、日本でも月面着陸のニュースが注目されていたことから、南流の標題にも『月宮殿花旅』として登場。飾り山笠の内部に電気仕掛けの動力を仕込み、宇宙船と船がドッキングするようなギミックを施すなど、驚くべき飾りを作り出し人々を驚かせた。
渡辺通一丁目の飾り山笠の見送りは、テレビ番組からテーマを採用した標題が多い。見送りにテレビ番組の標題が初児登場したのは1979年(昭和54年)のドラマ『西遊記』が最初で、以降45年以上もこの傾向が続いている。これは渡辺通り沿いに福岡放送(FBS)があるためとも考えられる。
近年は渡辺通り一丁目=「アンパンマン」というイメージがあるほど、幼児向けアニメ「それいけ!アンパンマン」の飾りが定番となっている。アンパンマンは2015年(平成27年)より2025年まで10年連続(※コロナ禍による休止の1年を除く)で登場している。、渡辺通一丁目の見送りに登場しており、毎年夏に公開されるアンパンマンの映画を題材にした人形が飾られており、見物に来た子供たちが指を指して喜ぶ姿をよく見かける。
アンパンマンの前は、その前は「名探偵コナン」が9年連続(2006年-2014年)で9年連続していた。他にも、「猿飛佐助」「鉄腕アトム」「ゲームセンターあらし」「キン肉マン」「ルパン三世」「キャプテン翼」「ロボタン」「オレンジロード」「燃えるお兄さん」「美味しんぼ」「YAWARA」「シティーハンター91」「超電動ロボ鉄人28号FX」「ストリートファイターⅡV」といったアニメが飾りになった事がある。
渡辺通一丁目の飾り山笠は、大口スポンサーに依存せず、町内会や企業、住民からの小口寄付で運営を続けている。地域の小口寄付を財源とする形態は、飾り山笠の中では珍しい形。毎年、役員らが地域の商店や個人宅を訪問し、約350~400件の協力を得て資金を確保しているのだが、2020年のコロナ禍以降、物価高騰の影響を受け資金確保が厳しくなってきているという。
そのため、2022年より山笠を見物しに来た方に向けて「山笠サポーター」として寄付を募集。1000円寄付をしてくれた人には返礼品として渡辺通一丁目の記念手拭(非売品)をプレゼントしている。この活動は口コミで話題となり、募金する人は年々増加。2024年は手拭1,000枚を準備したが祭り期間中に無くなってしまったため、2025年は1,200枚に増やした。
1960年(昭和35年)、渡辺通りを通行する車の交通量が増えた事で、渡辺通り一丁目に信号機の設置が検討された。当時の渡辺通りの一日の交通車数は約3万台で、渡辺通り一丁目付近は市内最大の交通の混雑地点であったため、毎月大きな事故が3、4件発生していたという。近所には春吉小学校もある事から、地元商店街から「ぜひ自動信号機を設置したい」との要望が出ていた。
ただ、福岡県が補助を出すとはいえ当時の価格で120万円を町から捻出する必要があったため、町内から「どんな貴重な文化財だといっても生命には変えられない」として山笠の奉納を一年休止する案が提案されると、賛否両論が対立。決を採ったところ、中止派が34対26票で上回ったため、一年山笠を中止することになった。
なお、休止した年に信号機は無事設置され交通状況は良化。翌年1961年(昭和36年)に飾り山笠は奉納を再開した。
なお、南流が信号機設置から復活した1961年(昭和36年)、今度は唐人町で奉納されていた「唐人町」も唐人町電停に信号機を設置するため、その費用捻出として飾り山笠奉納を一年間中止している。
福岡市営地下鉄「天神南」より徒歩10分
西鉄電車「薬院」より徒歩7分
西鉄バス停「渡辺通一丁目サンセルコ前」より徒歩1分
渡辺一丁目の「一丁目」の三文字をあしらった意匠を使用している。