博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

祝いめでた(いわいめでた)

博多のハレの舞台では必ず唄われる祝い唄で、「博多祝い歌」「祝い目出度(めでた)」とも言われる。歌詞は7番まであり、山笠では主に1番のみ歌われる場面が多い。
この曲を唄い終わったら「(博多)手一本」でその場を締めるのが博多の習わし。

博多祇園山笠では、追い山(7月15日早朝)において一番山笠が櫛田入りをする際に、一番山笠のみこの「祝いめでた」を唄えるというとても名誉な特権が与えられいる。

他にも、流舁きでは訪問した企業等に感謝の気持ちを込めて、追善山では故人を偲んで、追い山終了後には山笠が無事終了したことを祝って、と様々な場面で唄われる。

山笠文化が根付いた博多では、会合や宴会などの場を締める時にもよく唄われる。
最も有名なのが結婚式。年長の方や親族の兄弟などが祝いめでたを唄いパーティを締めるのは、福岡・博多の結婚式ならではのシーン。

その場の者が共に手拍子で合唱する「祝いめでた」は荘厳かつ迫力があり心を揺さぶる。
冬にYouTubeで祝いめでたの動画を見てしまうと血がたぎってしまい、夏が待てない衝動に駆られる舁き手も多いとか。

「祝いめでた」の歌詞

山笠に限らず博多では祝いめでたは様々なシーンで謡われる。
博多祗園山笠では主に1番が歌われるシーンが多いが、追善山笠では他の番も歌われる事もある。
また、博多の酒宴やめでたい席などでは歌われる頻度が高い。歌う人が3人並び、順番に1番から3番まで歌う事が多く、歌詞を覚えているか、うまくつながるかなどで、歌う人の”手腕”が問われる。
祝いめでたを歌った後に、博多手一本が入れられて、その場が締められるというのがセットとなっている。

一、
祝い目出度の若松様よ 若松様よ
枝も栄ゆりゃ葉もしゅげる
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネー

二、
こちの座敷は祝いの座敷 祝いの座敷
鶴と亀とが舞い遊ぶ
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネー

三、
さても見事な櫛田の銀杏(ぎなん) 櫛田の銀杏(ぎなん)
枝も栄ゆりゃ葉もしゅげる
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネー

7番までの歌詞は通常あまり聞かないが、結婚式などで歌われる事が多い。
1番から3番と比べると、さらにめでたい歌詞がずらりと並んでいるのが特徴。

四、
こちのお庭に 御井戸を掘れば 御井戸を掘れば
水は若水 黄金(かね)が湧く
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネー

五、
旦那大黒 御寮(ごりょん)さんな恵比須(えべす) 御寮さんな恵比須
出来たその子は 福の神
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネー

六、
舟は大黒船 船頭さんな恵比須 船頭さんな恵比須
乗せたお客は 福の神
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネー

七、
あんた(ああた)百まで わしゃ九十九まで わしゃ九十九まで
ともに白髪の 生ゆるまで
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネー

起源は『伊勢音頭』

祝いめでたの起源は、伊勢音頭にあると言われている。
江戸時代、一般人は住んでいる地域から自由に外にでることが許されなかったが、唯一外に出ることが許されていたのが伊勢の国(現・三重県)にある伊勢神宮に参拝する「お伊勢参り」だった。
伊勢の地でよく謡われていた伊勢音頭は、享保年間(1716年〜1736年)に奥山桃雲によって作られた伊勢河崎音頭が源流と考えられている(※伊勢木遣り唄と伊勢地域の盆踊りから伊勢河崎音頭が成ったとも考えられている)。伊勢の土地と伊勢の神々を讃える歌詞が謡いあげられる祝い唄で、合いの手が入れられながら歌われる。この歌を「荷物にならない土産」として、長い旅を経て伊勢までやってき旅人が故郷へ持ち帰り、日本全国に広まったとされており、持ち帰られた唄は、その土地土地の文化と入り混じって地域での最適化(ローカライズ)がされていったと推測される。

兵庫県芦屋市に伝わる伊勢音頭の説明には、「村の祝い事や祭りの日や酒宴などがあると、必ず伊勢音頭が唄われた」「必ず唄い始めは、”祝い(または目出度)目出度の若松さまよ 枝も盛えて葉も茂る”で始められる」「伝承の物や即興のめでたい歌詞がつづけられた」と記述されており、歌詞を見ると博多祝い唄との相似性がかなりあることがわかる。

ああよーいさ めでためでたの ヨイヨイ わかァまーつさまよ アーヨーイセー ソーラセイ
それ枝もなあ栄えて そうれさ葉も茂る ソラヤートコセーヨーイヤナー
ソレワイナーコレハイナー ソラヨーイトセ

此処の座敷は目出度い座敷 床なる松を眺むれば
一なる枝には一分金 二なる枝には二朱銀 三なる枝には裏に波打つ四文銭
末は銅銭が鈴こなり

此処の座敷は目出度い座敷 床なる掛図を眺むれば
戎子さんと大黒さんと相撲とる 大黒さんが負けたら槌渡そう 戎子さんが負けたら鯛渡そう
福は此方へ皆渡そう

此処の座敷は目出度い座敷 上から吊るが舞い下る
下から亀が舞い上る 鶴と亀とが舞を舞う

※芦屋市立図書館「芦屋の生活文化史」第四章芦屋の芸能より抜粋

また、愛媛県西条市で唄い継がれてる伊勢音頭では、ローカライズされた上記の歌詞が歌われているのが確認できる。

博多の祝いめでたも同様の形で、伊勢音頭が博多の文化と混ざって歌い継がれていくことで、現在我々が口ずさむ歌詞や形になったものと推測される。

歌詞の意味

歌詞のカタカナ部分について、どういう意味なのかについては、現時点も不明である。
前述の通り、博多の祝いめでたの起源が伊勢音頭であると考えるなら、伊勢音頭にある合いの手部分が変容していった、と考えられる。

2021年7月2日にKBCラジオにて放送された「博多の魂~エイショ-エ~」内で、KBC九州朝日放送の長岡大雅アナウンサーが、櫛田神社の阿部宮司にこの歌詞の意味について質問したところ、宮司は笑いながら「まあ、いいじゃないですか」とはぐらかした。また、博多祇園山笠振興会の武田会長は「意味はあったと思うが長い間歌い継がれていったなかで響きだけ残ったのでは」と見解を述べた。
番組スタッフが独自に調べたところ、

エイ=「えい!」「さあ!」(掛け声)
ショウエイ=「歌いましょう」
アレワイサソ=「私も誘いましょう」
エサソエー=「ええ、誘いましょう」
ショーンガネー=「しょうがない」

なのでは? お祝いの歌をともに歌おうという意味の歌詞ではないか?とのことだが、やはり推測の域を出ないため確証がない。
なお、この見解については、博多人形を取り扱う「人形のごとう」のサイトにある”博多祝いめでた 歌詞について”で紹介されている。

ちなみに、伊勢音頭の合いの手の部分は、
ヤートコーセノ = 弥長久(イヤトコシエ):伊勢の神鎮座がこの地に定まり長久に喜びが伝わる
ヨーイヤナー = 世恰弥也(ヨイヤナア):世の恰(よろこび)も弥々大成した
アララー = 安楽楽(アララ):これで世は安心だ、楽になった
コレハイセー = 是者伊勢(コレワイセ):ここは神が鎮座する伊勢の国
コノヨイトコセー = 善所伊勢(ヨイトコイセ):伊勢は善い所だ
という解釈もある。

「祝いめでた」の動画

(博多祇園山笠振興会による祝いめでたと博多手一本)

(2011年追い山ならしでの一番山西流による櫛田入りより)