博多祇園山笠の山笠奉納の舞台となる櫛田神社。その前の通りは通称「土居通り」と呼ばれ、土居流はこの通りに面した町で構成されています。
この流も古い歴史を誇りますが、実は昭和41年に行われた「博多地区町界町名整理事業」のあおりで伝統あるすべての町名が消滅してしまった地域です。これを不服とした当時の町総代会が流の解散を決め、一度は土居流の名前が消える事態となってしまったのですが、熱心な若手達が流の存続を強く要請し、「土居流保存会」をつくって暫定的に流を継承しました。この努力が実り、3年後に正式に「流」として復活しました。
小野和泉守鎮幸(おのいずみのかみしげゆき)。立花道雪・宗茂の二代に渡り仕えた家臣で立花四天王の一人。豊臣秀吉から日本槍柱七本の筆頭と絶賛された。
家老時代、収賄が常態化し守銭奴と揶揄されたが、後に財政が過迫していた主家に、蓄えた賄賂に自らの資金を加え供出し、その窮地を救い周囲を驚嘆させた。
関ケ原の戦いで立花家が西軍に与して敗れ、肥後・加藤家預かりとなった時は立花家家臣団をまとめ、宗茂が加藤家を辞した後は仕送りを続けた。
当時、自ら武勇伝を語る事は無かったが立花家家臣を軽視する風潮が生じた際は、一転し酒席で戦傷を露わにし感状と照らし合わせ説明し加藤家家臣たちの毒気を抜く。併せ、「清正公の武勇伝を耳にするが、家臣たるもの主君を武勇伝となるような危険なめにあわせてはならない。少なくとも某はそうしてきた。」と家臣としての立ち居振る舞いを説いたという。
忠義にして勇猛な郷土の誇る武将である。
[人形師:中村弘峰]
福岡市営地下鉄「中洲川端」より徒歩5分、「櫛田神社前」より徒歩6分
西鉄バス「川端町・博多座前」「奥堂」下車より徒歩5分
7/1 (月) |
7/9 (火) |
7/10 (水) |
7/11 (木) |
7/12 (金) |
7/13 (土) |
7/14 (日) |
7/15 (月祝) |
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当番町 お汐井取り |
全町 お汐井取り |
流舁 | 朝山 | 他流舁 | 追い山 ならし |
集団 山見せ |
流舁 | 追い山 |
18:00 | 18:00 | 17:00 | 5:00 | - | 町舁出 14:10 山列入 14:30 櫛田入 16:30 |
町舁出 14:20 山列入 15:00 始点出発 16:00 |
17:00 | 町舁出 1:40 山列入 2:00 櫛田入 5:30 |
※お汐井取りの時刻は、石堂橋の出発時刻
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