平成3年より毎年、天神ソラリアプラザの吹き抜け部分に建設されます。江戸時代にあった「旗さし山」を復元しているのが特徴です。ソラリアの独特の内装と飾り山笠のきらびやかさが相まって、幻想的な美しさを醸し出しています。
ビジネスやショッピングの合間に足を止め、その美しさに多くの人が見入っています。
時は1125年前の平安時代。宇田上皇の寵愛を受けていた菅原道真公=菅丞相(丞相=天皇を補佐する高官)が、政敵であった藤原時平の讒言によって大宰府に下向することとなった際、都を出て大阪の港から船に乗る前夜、丞相が叔母であった「覚寿」に会うため大阪道明寺を訪れたことが物語となっています。そこには丞相の養女で覚寿の実の娘「苅屋姫(かりやひめ)」が隠れていました。時平の讒言は苅屋姫と親王との秘密の逢瀬が利用されたものだったため、苅屋姫は覚寿にも丞相にも会うことを憚り、屋敷の中で身を隠していました。叔母との再会を果たした丞相を翌朝、時平の刺客が偽って輿で連れ出します。少し遅れて天皇の随臣である判官代輝国が迎えに来ると、覚寿は丞相がすでに出立したことを告げます。そこへ偽の迎えが輿にあるのは「木像の丞相」であったと、引き返して来たため悪事が露見し、輝国に捕縛されます。
覚寿が輿にあった道真公自らが彫った木像の丞相像を確かめ直すと、奥の間から正真の丞相が現れ、いよいよ出立の場面となります。物陰から丞相の姿を見た苅屋姫はたまらずに御前に出て丞相にすがりますが、情を断ち切るように丞相はその場を立ち去ろうと数歩歩みました。しかし、惜別の念に駆られ丞相は刹那に大きく袖を振り上げ、顔を袖で隠して振り返りました。「天神見得(てんじんみえ)」という歌舞伎の有名な見得の場面として知られています。
博多祇園山笠では、『菅原伝授手習鑑』の中では牛車が割れて時平が憤怒の相で出現する三段目の「車曳(くるまひき)」が人気で度々取り上げられて来ましたが、「丞相名残段」は今回が初めての公開と思われます。
[人形師:西山陽一]
『日本書紀』によれば継体天皇21(527)年3月、大和政権は朝鮮半島での土地の領有をめぐって新羅国と争っており、半島の南にあった任那の地に近江毛野に6万の兵を与えて派兵しようとしました。九州を代表する有力者であった筑紫君磐井は、以前から新羅との外交関係があったことから、兵站地である火(後の肥前・肥後)と豊(豊前・豊後)の地域を押さえて大和の軍と交戦したことにより、大和政権は半島経営と外交権の掌握において窮地に立たされます。
翌、継体天皇22(528)年11月に、大和政権は大連の物部麁鹿火(もののべのあらかひ)を派遣し、筑紫の三井郡(福岡県小郡市付近)で磐井の軍と交戦することになりました。両軍の旗や鼓が相対し、軍勢のあげる塵埃は入り乱れ、互いに勝機を掴もうと、必死に戦って相ゆずりませんでしたが、ついに磐井が斬られ大和政権が勝利し、大和と筑紫の軍事境界を定めました。
筑紫君葛子は父に連座されることを避けるため、「糟屋屯倉」という博多湾にほど近い土地を献上して死を免れ、一族を残すことができました。
[人形師:下川貴士]
福岡市営地下鉄「天神」より徒歩5分
西鉄バス停「天神ソラリアステージ前」より徒歩3分
長法被