大黒流
流の区域が昔からほとんど変わっていないため古来からの山笠を色濃く残しており、古いしきたりが色濃く残っている伝統ある流です。
現在の山笠の基となっている「流(ながれ)」は、豊臣秀吉による天正15年(1587年)の「太閣町割り」が起源と言われています。東は御笠川、西は博多川を境にして町割りを行い、その一区画を「流」と呼びました。この「流」が博多祇園山笠のグループ単位の発祥となり、現在も「七流(しちながれ)」と呼ばれる大黒流 ・東流・中洲流・西流・千代流・恵比須流・土居流に受け継がれています。
『飾り山笠』は、明治31年(1898年)以降に、舁くための背の低い『舁き山笠』に対し、据えて見物するための背の高い『飾り山笠』として登場した山笠です。毎年、舁き山を持つ七流とは別に福岡市内に13基建てられて、7月1日早朝から7月14日深夜まで一般公開されます。
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