土居流内の上川端通が独自に建てる飾り山笠です。「走る飾り山笠」としてお馴染みで、追い山ならし(7月12日午後)と追い山(同15日早朝)では"櫛田入り"を行います。櫛田入りは、必ず最後の八番目に櫛田入りを行います。
古来の山笠を彷彿とさせる10メートル近い飾り山笠の櫛田入りは、舁き山笠とは違った豪華さ絢爛さがあり、櫛田神社に入ってくる姿は観客の感嘆の声を集めます。
電線をくぐるため飾りの上部が伸縮するようになっていたり、櫛田入りの際にスモークを吐いたりするなどエンターテイメント性が抜群な飾り山笠で、通称「からくり山」とも呼ばれます。
追い山後は、上川端商店街内にある川端ぜんざい広場にて約1年間再展示され、その勇壮な姿を見上げながら、名物のぜんざいに舌鼓を打つ観光客の方々の姿が見られます。
約七五〇年前、鎌倉幕府の時代 当時アジア・ヨーロッパに巨大な帝国を築いていた蒙古(モンゴル帝国・元)の五代皇帝クビライカーンは日本を服属させようと六度まで使節を派遣します。
しかし、時の執権・北条時宗はこれをことごとく無視。
ついにクビライは日本に武力侵攻する事を決意します。
日蓮上人は事前に外国の襲来を予見し、幕府に対して警告を発していましたが、その八年後に蒙古の襲来という形で現実のものとなります。
文永十一年(西暦一二七四年)、蒙古・高麗の連合軍
二万五千人・六百艘の軍勢が対馬・壱岐を制圧後 肥前松浦から海岸づたいに上陸し博多湾に侵入します。
報を受けた日本側は鎮西奉行の少弐氏や大友氏を始め九州の御家人を招集し、これを迎撃します。
戦火は拡がり博多の町も炎に包まれたと云います。
「蒙古襲来絵詞」を遺した事で有名な竹崎季長をはじめとした御家人たちの活躍で赤坂山や鳥飼潟の戦いに勝利し、元軍を敗走させます。
副将の負傷なども重なり劣勢と判断した元軍は撤退を始めますがその途上で暴風雨にみまわれ壊滅したといわれています。
[人形師:田中勇]
雪の降り積もる逢坂の関。冬にも関わらず小町桜が美しく咲き誇る。
かつての少将・良岑宗貞は関の傍らで関守の関兵衛と、ひっそりと暮らす身です。そこに偶然、宗貞の恋人だった小野小町姫が訪ねて来ました。三人で語るうちに関兵衛の素性を怪しんだ宗貞は小町姫を都に走らせます。
実は、関兵衛こそ天下を狙う謀反人・大伴黒主でした。
関兵衛(黒主)は、野望の祈願成就のために、護摩を焚く材にしようと、小町桜を切り倒さんとします。ところが 鉞を振り上げたとたん体が痺れて身動きができなくなります。そこに墨染と名乗る美しい傾城が現れ『恋人にしてくだしゃんせ』と関兵衛を惑わしはじめます。
墨染の正体は、小町桜の精。かつての恋人を黒主に殺された恨みを晴らそうと人の姿をとって現れたのです。
関兵衛(黒主)と戯れるふりをしながら、恋人殺しの証拠を手に詰め寄る墨染に、とうとう関兵衛も本性をみせて、髪を逆立てた大伴黒主の姿となります。対して墨染も桜の精の正体を現して両者は激しくも美しく対峙します。
[人形師:田中勇]
福岡市営地下鉄「中洲川端」より徒歩3分、「櫛田神社前」より徒歩5分
西鉄バス停「川端町・博多座前」より徒歩3分
| 7/1 (水) |
7/9 (木) |
7/10 (金) |
7/11 (土) |
7/12 (日) |
7/13 (月) |
7/14 (火) |
7/15 (水) |
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| 当番町 お汐井取り |
全町 お汐井取り |
流舁 | 朝山 | 他流舁 | 追い山 ならし |
集団 山見せ |
流舁 | 追い山 |
| - | - | - | - | - | 町舁出 14:20 山列入 14:35 櫛田入 16:35 |
- | - | 町舁出 3:00 山列入 3:35 櫛田入 5:35 |
※お汐井取りの時刻は、石堂橋の出発時刻
上新川端町