賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる加藤清正は数々の武功を挙げ秀吉没後は徳川の家臣として関ヶ原の戦いでの働きにより肥後国一国を与えられ熊本藩主になりました。熊本城の築城、土木・治水工事をはじめ干拓を行い新田を開発し、街道づくりなどもおこないました。海外貿易にも力をそそぎ経済と文化の発展に寄与し肥後熊本の基礎をつくりました。 肥後の国では「セイショコさん」と呼ばれ、民衆から大変慕われました。武将として優秀なだけでなく、常に領民のことを思い、富国安民の国づくり政策を行った人物でした。
[人形師:中村 信喬]