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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

ごりょんさん(ごりょんさん)

山笠に出る男たちの奥さんの事。博多の既婚の女性を総称して呼ぶ事もある。
山笠に男達が参加している間は、家を守り、店や家事の切り盛りを一手に引き受け、旦那を山笠に気持ちよく送り出してやる・・・というイメージが強い。
流舁きの際は、沿道のごりょんさんが山笠に勢水を掛けている姿もよく見られる。
「山笠を裏で支えている」というイメージは、裏を返すと「女性冷遇」というイメージとの表裏一体であり、よく「九州男児の男尊女卑」問題と連結して語られる事が多い。

その昔は、「よれよれの法被だと旦那が笑われ男を張れないから」と、山笠が終わると法被をほどいて洗濯して大事に保管し、また翌年仕立て直していたという。法被の新調する事になった時は、当番町になった時に町全体で当たり、町内の女性たちが集まって縫いあげたらしい。

語源

語源は大阪弁で、衣服問屋が多い船場せんば(大坂の町人文化の中心となった地域)の「船場言葉」。
調べてみると、「ごりょんさん」の語源には2つあるようだ。
一つは、本来は「将来主君となるべき若君」を指す「ご料人」という言葉が、江戸時代になり「将来嫁となる女性」を指すようになり、その後、大家のご料人が嫁に入る時に付き添った女中が嫁ぎ先でも「ごりょんさま」と呼んだことから、若嫁を意味するようになった・・・という説。
もう一つは、もとは中流家庭の子供を敬って呼ぶ「御寮人」が、広い意味で奥方や子女が含まれるようになり、そこから「ごりょうさん」がなまって呼ばれるようなった・・・という説。
どちらにしても、旦那に対する「嫁」を「ごりょんさん」と呼ぶようになったようだ。
江戸時代以降「天下の台所」とも呼ばれるほど繁栄した船場で使われていた所から、同じ商都であり取引が多くあった博多にこの船場言葉が持ち込まれたのではないかと推測される。
なお、大阪弁でのアクセントは「ご」にあるが、博多弁では「りょ」にある。

山笠における「ごりょんさん」

山笠は男の祭りであるため、かつては、女性を「不浄の者」として近づけず、炊事など一切、男でやっていた。
しかし、これはすでに過去の話で、現代は「ごりょんさん」抜きでは山笠は維持できない。
行事ごとに行われる直会の準備(※町によって異なる)や、水法被や締め込みの洗濯など、ごりょんさんの活躍抜きでは山笠の行事遂行は成り立たないようになっている。

直会についてはごりょんさんが全てを取り仕切っている町があり、山笠前になるとごりょんさん会議を開いて事前にミーティングを行い、担当の日時や献立、この日にはこの料理を出すという習わしがある場合はその情報交換と伝達を行うなど、山笠に出ている男たちのバックアップを行っている。
現在では、山笠には出ないものの「ごりょんさんも山笠の参加者の一人である」という認識が強い。

1976年(昭和51年)の新聞では、ごりょんさんにインタビューした記事が載っており、ごりょんさん自身が”ごりょんさん気質”を「キップが良く、男まさりでありながら、ひかえ目に男を立てる」と評しており、記事内で市内の大学の教授は山笠期間中の女性の”冷遇”について「博多の女性は利口なので、損な役回りのようで、結局は女性が家の実権を握っているのではないかという気がします。」という意外な見解を示している。

なお、その昔は「山笠の間、家を守ってくれてありがとう」という気持ちから、男達は10月に筥崎宮で行われる放生会の際に着物を買ってあげたと言われているが、現代では男性陣に習って打ち上げ旅行に出かけたり、飲み会を開いたりしているようだ。
1977年(昭和52年)の新聞には、中洲流の若手たちが『ごりょんさんの慰労会』パーティーをホテルで開き、当番法被姿の若手40人がごりょんさん80人をもてなしたという記事が残っている。なお主役はごりょんさんなので「テーブルには酒よりもジュースやケーキ、果物類が並んだ」そうだ。

まあ、時代によって役割や解釈などが様々あるのだが、時代がどんなに変わっても7月15日の追い山笠が終わり「旦那の無事な顔を見ると何とも言えない安ど感でいっぱいになります」という方が多いらしい。

・・・と、まあ、いろいろ解説を書いても結局は「山笠に忖度した記事ウンヌン」「男女平等の世の中なのにウンヌン」「だから九州男児はなのにウンヌン」といろいろ言う人がいるんだろうなあ・・・と、遠い目になる項目である。

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