山笠で博多の町を走る山笠。
正式には『舁山笠』ではあるが、『舁き山笠』『舁山』『舁き山』とも呼ばれる。一般的には『舁き山』と表記・呼称されることが多い。
高さ約3メートル・重さ約1トンのサイズを誇る『神様』であり、この巨大な物体を男達が舁いて(担いで)、博多の町約5.5キロメートルを疾走する。
他の祭の神輿と異なり曳く物ではないため、台足には車輪が付いていない。そのため必ず舁いて運ぶ事になる。
台座の山笠台は釘を一本も使わず組み立てられ、山笠台に乗せる飾り人形も今もなお昔ながらの作成方法で作られている。
元々は飾り山と同じサイズの山(高さ15メートル)を舁いていたのだが、明治の近代化により電線および路面電車の架線(高さ5メートル)が町中に張り巡らされるようになると、舁き山が電線を切ってしまう事が問題に。 明治31年(1898年)に当時の福岡県知事が博多祇園山笠の中止を提議したのをきっかけに、舁くための背の低い『舁き山』と、据えて見物する背の高い『飾り山』の2つの山笠に分離させる事になった。
その舁き山・飾り山の分離前の舁き山を再現しているのが、八番山・上川端通の「走る飾り山」である。
現在、福岡市役所1階ロビーに展示されている山笠人形のディスプレイはその当時をモデルにしたフィギュアで、水法被を着ていない男達が高くそびえた舁き山を舁いている様子が再現されている。
なお、舁き山の最大数は、昭和27年の舁き山14本(飾り山13本)が戦後最大の本数でり、一番最後の十三番山笠・南流は午前6時に櫛田入りを行ったという記録が残っている。
追い山後の舁き山は、山小屋に戻った後、飾りと山笠台に分けられる。昔は飾りを参加者で取り崩す「山崩し」を行っていたのだが、近年は施設や他の地域に舁き山飾りを寄贈する事が多いため、飾りを崩さず取り外す流が多い。
土居流の飾りは、博多中学校に寄贈し、一年間飾られた後、福岡空港国際線ロビーに設置される。
東流の飾りは、秋に行われる灯明ウォッチングやライトアップウォークにて展示され、その後、福岡空港国内線ロビーに展示される。
大黒流の飾りは、追い山後、ホテルオークラのロビーにて期間限定で展示される。
近年の飾りを寄贈した主な場所は以下の通り。