15日早朝の追い山笠終了後、山小屋に戻ってきた舁き山笠の飾りを取り外す(取り壊す)行事。『山解き』とも言う。
博多中を駆け巡った山笠に吸い寄せられた災厄を外に出さないために行うとされており、飾りの一部を持ち帰って家の守りとする。
古来からの山崩しは、山小屋に戻ってきた舁き山笠は、山笠を揺らしながら祝いめでたを唄って手一本が入れられる。その直後に若手が山笠によじ登り、勇壮華麗な山笠飾りを豪快に荒々しく引きちぎって壊す。
壊した飾りは持ち帰ってよい事になっており、持ち帰って家に飾ったら一年間無病息災であると言われている。
近年では山笠終了後も、博物館や駅、飾りの標題に所縁がある地域に譲るなど、飾りを展示する事が多くなったため、古来からの山崩しを行っている流は2024年時点では西流のみとなった(※千代流は2012年を最後に取り止め)。西流はこの古来から続く勇壮豪快な行事を長く継承していくために、毎年節度をわきまえ秩序を保つよう、話し合いを行って確認を行って斎行している。
この勇壮豪快な行事を見たさに、近年は櫛田入りが全て終わった後、西流の山小屋前に見物客がたくさん集まるようになっている。
この行事には「山崩し」「山解き」と複数の呼び名があり、どちらで呼ぶかは流毎、町毎、人毎と呼び方が違っている。厳密には差はないらしい。
ただ、山笠ナビの聞き取り調査の中で、古老より「飾りを丁寧に取り外し、山笠台から縄を解いて舁き棒を取り外す」事が『山解き』であり、「山笠によじ登って人形を壊しながら飾りを取り外す」=『山崩し』という見解を教えていただき、山笠ナビではこれに「解く」と「崩す」のニュアンスが表れていると判断。
山笠ナビではこの見解に準じて西流は「山を崩す」、その他の流は「山を解く」と表現する方針にしている。
流によって作法や習わしは異なるが、「飾りを取り外す」「山笠を揺らしながら祝いめでたと手一本で締める」というのは、どの流れも共通している(※順番は流毎に異なっている)。
東流は飾りを取り外し山笠台をざっと洗った後、総務と代表取締役が山笠台に座り、素山状態で山揺らしを行う。
恵比須流は山小屋に戻った後、山揺らしを行い全てが終ってから飾りを解く。
当番町制がある土居流、大黒流などは飾りを解いた後、受取町(来年の当番町)まで山笠台を運び入れ、来年の当番に任を引き継ぐ行事を行う。山笠台を受け取った受取町は、山笠台から舁き棒を取り外し櫛田神社に舁き棒を返却しにいく。
番外扱いの櫛田神社、及び追い山笠に参加する上川端通以外の飾り山笠は、7月15日午前4時59分までにすべて山を解かないといけない習わしとなっている。
すべての飾り山笠を解く必要があるため、山大工と人形師は夜を徹して飾りを解いて回る事になる。そのため、早い所では7月14日の午後8時頃から山解き作業が開始する。
なお、解いた飾りは一般の方はもらうことは出来ない。念のために重々書いておく。
追い山笠が始まるのに合わせて山解きも始まるが、櫛田神社の協賛灯明も14日の夕方までには取り外され、土居通りや天神の街頭に吊り下げられている提燈も7月14日の夜半に取り外されていく。山小屋も7月15日の夕方までには解体され、祭があった痕跡は重機での大掛かりな解体を必要とする櫛田神社の桟敷席と博多駅の山小屋の部材、そして道路に着いた胴金の跡だけとなる。
この余韻を残さない祭りの畳み方こそ、博多っ子のさっぱりした気質を表している、とも言われる。
よく聞くのが、山笠が7月15日に終わると聞いて、早朝に追い山笠を見てその帰りに見納めに飾り山笠を見て・・・と思って最終便で博多に来たらすでに飾りどんどん無くなっていっており呆然とした・・・という失敗談を聞くので、見物を考えている方は要注意である。山見が出来るのは14日の夕方までである。