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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

追い山笠馴らし(おいやまならし)

文字通り「追い山笠」の「らし」行事。つまり”リハーサル”。
行事の呼び名は「おいやまならし」ではあるが、メディアでの表記は2019年以降『追い山笠やま馴らし』に統一されている。それまでは『追山馴』『追い山馴』『追山馴らし』『追い山ならし』という表記が使われていた。昭和初期の新聞を読むと「追山笠ならしがき」「ならしがき」という表記も使われていたようだ。

本番の『追い山笠』の3日前の7月12日の午後に行われ、一番山笠は午後3時59分に山留から舁き出す。
“馴らし”の行事であるので、コースの距離は追い山笠より1キロメートル短く約4キロメートル、廻り止め(決勝点:ゴール)は奈良屋町となっている。
とはいえ、距離と開始時間以外は本番の追い山とほぼ同じ。一番山笠は櫛田入りの際、祝いめでたを歌うことが認められており、また八番山笠 “走る飾り山” 「上川端通」も登場する。もちろん櫛田入りタイムと全コースタイムも計測・発表されるので、各流は各流の誇りにかけて追い山笠同様の気合いの入った山舁きを行う。

追い山笠馴らしの動画

追い山ならしのコース

追い山笠馴らしの歴史

資料によると、1883年(明治16年)の6月12日(※旧暦)に始まった、という記録が残されている。
計算すると、2023年は追い山笠馴らしが始まって140周年だったらしい。

1948年(昭和23年)第二次世界大戦による山笠中止から4年ぶりに追い山笠馴らしが行われたが、追い山笠、追い山笠馴らし共に“櫛田入り”だけ。翌1949年は、短縮コースではあるが山笠コースを舁く形が戻ってきた。以降、徐々に距離を伸ばしていき、旧来の追い山馴らしコースに戻ったのは1951年(昭和26年)の事である。戦後直後は、七流櫛田入りの前に、子供山笠の櫛田入りも行われていた。

エピソード

  • 1956~1961年(昭和31~36年)頃は、福岡県警音楽隊がお昼頃からパレードを行い、舁き山笠の間を縫って櫛田神社に入り境内で演奏をして追い山笠馴らしの日を盛り上げたらしい。
    なお、1961年の記事によれば、パレードは一番山笠中洲流の山小屋がある東中洲から正午にスタート。中島町-上鰮町-奈良屋町-綱場町-川端通-櫛田神社とパレードを行い、櫛田神社では午後2時から境内で演奏した、という記録が残っている。
  • 2013年、2016年に、故寛仁親王の長女彬子様=三笠宮家=が「追い山笠馴らし」を非公式に御高覧。2016年の御高覧の際は、一番山笠・東流の「博多祝い唄」で皆と共に立ち上がり手拍子を打たれた。
  • 2019年(令和元年)の追い山笠馴らしで、七番山笠・西流が櫛田入りにて『29秒64』タイムを叩き出した。櫛田入りで30秒を切るのは、1966年(昭和41)年に現在の七流体制になって以降、「追い山笠」「追い山笠馴らし」を通じて初めて。

アクシデント

2000年(平成12年)の追い山笠馴らしで、三番山笠 東流の舁き手が櫛田入りの際、街灯の柱と山笠の間にはさまれて負傷したため、 四番山笠以降は10分遅れの舁き出しとなった。
また、2009年(平成21年)には 四番山笠・千代流の櫛田入りの際、舁き手が街灯と山笠の間に挟まれて胸や肩の骨を折るアクシデントが発生。約20分間行事が中断するも、幸い命に別状はなく行事は続けられた。

2009年のアクシデントを受けて、翌年からは街灯の下に俵を敷き詰めて 舁き手が挟まれてもケガをしないような安全対策が施されるようになった。

追い山笠馴らしダイジェスト

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