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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

休み(やすみ)

博多祇園山笠の行事は、必ず毎年7月1日から15日に行われ、時間も全て決まっている。
そのため、行事が平日に行われるのはざらではあり、山笠に参加する者は結構な確率で仕事を休んで参加する人が多い。

もちろん、そうなると個人経営のお店は山笠の行事のたびに店休日が発生する。お店によっては2週間丸々と休みを取ったりするお店もある。
博多の町は古来より商都であるため、自営業をしている人が多かったりするが、一説では山笠に出るために自営業をしている(=休みの融通が付けやすい)という話もあり、山笠に出たいため自営業に転職したという話もちらほら聞く事もある。

個人経営のお店ならまだ自由がきくかもしれないが、いわゆるサラリーマンの人はもっと大変である。
地元・博多の企業なら山笠行事に理解を示す企業が多く行事参加を容認してくれる事が多いのだが、博多外の企業だと「祭りに参加するので2週間休ませてください」と言えないし、容認してもらえないのがサラリーマン参加者の頭の痛いところである。
仕事の差配やスケジュールなど苦心されている話はちらほら聞くが、人によっては一年のすべての有休を7月1日から15日まで使ったり、辞表覚悟、もしくは辞表を出して山笠に参加する人もいる。
平成20年~25年まで博多祇園山笠振興会会長を務めた瀧田喜代三氏は「勤務先から東京転勤の話を相談されたところ、『わしゃ博多の人間ですけん』と断った」という逸話は有名。

しかし、参加者のほとんどが勤め人という現代である。参加できる日をやりくりして山笠行事に参加する事を容認している町や流がほとんどである。
ちなみに、1967年(昭和42年)、7月13日の集団山見せの舁き出し時間が、この年から30分繰り上がって15時半からとなった。これまで16時だったが、帰路の際に帰宅ラッシュと重なって大渋滞を引き起こしていたため、警察は14時舁き出しを要望したためだが、サラリーマン参加者が多くなったこの時代、この時間に参加できない人が多くなり、舁き手が足りなくなるための折衷案だった。

これが「博多の男性は祭になると仕事をしない」と揶揄される一つなのだが、『山笠に参加すると15日間休みになってしまうので、残り350日は一生懸命働いている』と、山笠のために1年を仕事に捧げている、と理解していただきたい。 
もちろん、これを支えるのはごりょんさんであり、ごりょんさんの理解あってこその山笠である。

なお、小学生が山笠に参加する際は、現在は公休扱いで行事に合わせての早退が許されており、15日の追い山の日は午前中の授業開始時間の変更が行われている。
1957年(昭和32年)には、『舁き出し時刻に子供たちの放課後に間に合うように』という先生たちの声で、流舁きの舁き出し時間が午後3時から午後4時ごろに変更する話し合いが行われている。

山笠期間は興業を行わなかった博多の劇場

明治維新後、博多には宝楽舎、永楽社、教楽社、明治座、川丈座、寿座、博多座、九州劇場、大博劇場などの劇場があり、人々を毎日楽しませていた。
だが、福岡の演劇史を読み解くと旧歴六月(新暦七月)の山笠期間中は興業予定を入れなかったり、上演中であれば中断したらしい。 山笠に敬意を表してか、博多の人々にとっては芝居どころではないかは分からないが、普通は祭の人出を当て込んで興行するところを山笠期間中に関しては「休む」ようにしていたという。
現在でも博多座では7月15日を休演日、または夜公演のみにする場合が多い。

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