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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

山笠ナビ博多祇園山笠用語辞典とうばんはっぴ/ながはっぴ

当番法被/長法被(とうばんはっぴ/ながはっぴ)

山笠期間中に参加者が着用する久留米絣で出来た法被で、博多祇園山笠の儀礼衣装。
丈は膝にかかる程度。肩行は水法被より長く平そで。紺地の生地に流、町の名、町を示す通りなどを図案化した意匠が織られている。

元々当番町の役目が回ってくる度に新調されていた事から「当番法被」と呼ばれていたが、現在は「長法被」という名前で呼ばれる事が多い。
これについて、1977年(昭和52年)の新聞によると、この年「当番法被」論争があったようで、振興会初代会長の落石栄吉氏は「当番町になったとき作るのだから当番法被。山笠は古い歴史を誇っており、こうした呼称は残さなければならない」と主張。一方当時の振興会副会長で千代流の梅津忠吉氏は「厳格な意味での当番町はなくなっており、千代流では長法被と呼んでいる」、副会長の川原俊夫氏、富永稔氏は「両方使っていいのではないか」と語っており、どっちが正しいかはなく、各人、各町、各流に任せられている感じである。

祭の儀礼衣装であるため、着用可能なスケジュールは厳格に決められており、着用可能期間は山笠の準備が始まる6月1日から、祭が終る7月15日まで。この1か月半を除いた日に当番法被を着用して外出するのは禁じられている。
ただし、山笠関係者の結婚式や山笠関係の式典などの屋内であれば、スーツの上に羽織って出席する事は認められている。

参加当初は当番法被をもらえず、ある一定の期間の参加を経てから当番法被に袖を通すことが許される・・・という流もある。

博多祇園山笠の正装、礼装

当番法被は儀礼衣装であるため、礼服(フォーマルウェア)として扱われる。
当番法被着用時は、下はステテコ(かつては腰巻き)、足元は雪駄か下駄、右腰後ろの帯には手拭を挟み掛けるのが習わし。

山笠の礼服であるため、山笠期間中はこの装いで式典や結婚式、葬式などのフォーマルな場に出席する事が出来る。
この内容が曲解されて「博多では水法被姿で結婚式に出てもいい」と勘違いしている人が結構いる。水法被は山舁き時の正装であり、その姿でフォーマルな場に出席するとさすがに白い目で見られると思われる。(※ただし、結婚式の余興時に、招待客が水法被姿になって新郎を山笠の流儀で祝う、という事はあるらしい)

なお余談ではあるが、中の人が12月に山笠に参加している社長に結婚の報告をした際、第一声が「まじ?」、第二声目が「当番法被着た方がいい?」だった。

デザイン

土居流・大黒流・恵比須流・西流は各町毎に意匠が違っているが、東流・中洲流・千代流では統一法被が採用されている。
また飾り山笠を奉納する場所にもそれぞれ独自の長法被が存在する。

意匠は様々で、昔の道筋を示した線状のデザイン、町の名前を模したデザインなど多種多様で、この意匠を見て、流・町の所属がが一目で分かるようになっている。
例えば、キャナルシティはCanalの「C」を図案化、博多駅は「エキ」を図案化、リバレインは「リバ」を図案化している。

魚町流の古小路は、白地の生地に古小路の「古」という漢字を図案化した意匠を使用している。
このように日本古来から伝わる「紋」のハイレベルなデザイン性に魅了される人は多い。

この唯一のデザインが施されている当番法被を見たら、どの流か、どの町の者かが一目でわかるため、責任を持った行動が求められる。「この法被は身分保証書と同じたい。町外の人には売らん。」とも言われており、その昔は当番法被を着て中洲へ行くと長老からこっひどく叱られた・・・という話もある。

なお、久留米絣の染料である藍は、ブルージーンズの染料”インディゴ”同様、虫よけに役立っているらしい。

当番法被の価格

久留米絣の特注品となるので、一着2~3万円以上はすると言われている。
流や町で一括して注文する事が多いが、統一法被の流は注文ロット数が多いので比較的安いが、町で異なる場合は、注文が少なくなるためそれだけ割高になる。

現存が難しい当番法被

長法被の中には今もなお発見されていない法被がまだ存在するという。旧町の長法被はなかなか現存しづらいと言われている。
まず、1945年(昭和20年)6月19日に発生した福岡大空襲によって焼失している。
そして、1966年(昭和41年)に行われた博多地区の町名改正によって由緒ある町名が次々に消えた事で、旧町名をあしらった法被が散逸した。
その他、亡くなった際、棺の中に愛用していた法被を入れて一緒に焼いてあげたり、法被の縫い糸を解いて生地に戻して布団カバーに作り替えられたり・・・と、その理由は様々である。

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