山笠ナビ チャンネルYouTube

博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

男野点(おとこののだて)

「南坊流」が山笠の役員に振る舞う野趣豊かな茶会行事。
7月10日の午前中に櫛田神社にて行われ、南坊流振興会が亭主となり、として各流の総務や本部役員が招かれる。

博多は茶道と縁が深い土地柄である。
『南坊流』は福岡藩・黒田家に伝わった茶道の流派で、千利休の奥義書「南方録」が伝承されており、博多区御供所町には南方流の茶と禅の道場として有名な円覚寺がある。

また、野点というスタイルも、天正15年(1587年)豊臣秀吉が九州征討の折に、秀吉の命により千利休が千代松原で初めて設営した方式で、利休が武将らに野点手で茶を振舞い、戦いに臨む武将たちは甲冑をつけたまま、荒ぶる心を静めるために茶を喫したという”故事”がある。
※史実では九州平定を終えた秀吉が、博多に戻り茶会を開いている。合戦前に茶会を開いたわけではない。

男野点は、この野点の故事をもとに、山笠を合戦に見立てて、1975年に始まった。
この男野点は、毎年7月10日午前10時より櫛田神社拝殿にて行われる「献華けんげ献茶式」の後に行われる。
その年その年で開催される場所が変わっており、一時期は櫛田神社拝殿前の境内にて行われていたが、現在は拝殿裏にある注連懸稲荷神社前にて行われることが多い。2023年は櫛田会館に広い休憩所が新設されたことを受けて、この休憩所で行われた。
野外で行う行事であるため、悪天候の場合は拝殿で行われる。ただ、1980年(昭和55年)は境内に行っていたところ悪天候に見舞われ、参加者はずぶぬれになりながら正座して野点を行った、という記録が残っている。

野点は「戦いに臨む武将たちが心を静めるために茶を喫した」という故事に倣い、流舁きを「戦」と見立てて、会場には陣幕が張られる。
山笠の関係者は水法被姿に長法被を羽織るのが正装。まさに戦前の「出陣」のいで立ちだ。
「博多は茶道でも由緒があり、法被姿の茶会は全国でただ一つ」と関係者は語る。

茶の手伝いをするのは、水法被姿の一番山笠の当番町の子供達。参加者に茶菓子とお茶を運ぶ。
もともと出陣に見立てた行事なので、茶会とはいえ難しい作法はなく、子供から受け取った茶菓子を口に運び、豪快に茶をグイと飲み干す。
飲み干すと、いざ出陣、いざ「流舁き」だ。

関連動画

61