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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

追い越し(おいこし)

追い山笠は『山留(スタート)の櫛田神社から、決勝点(ゴール)の須崎町までの走破タイムで勝負する祭』と思われがちではあるが、スピードを競う事が目的の祭りではなく、『奉納神事』である
(※なお、櫛田入りや全コースのタイムがトップになっても、賞品や賞金は出ない。男達に与えられるのは『誉』のみである。)

とはいえ、タイムを計測する以上、タイムを比べてしまうし、より良いタイムを出したいと思うし、相手に勝ちたいと熱くなってしまうのは、人のさがである。

だがしかし、山笠では後続の流に追い越されるのは非常な不名誉な事とされており、奉納神事である事からも『追い越しは行わない』というのが、不文律であり暗黙の了解となっている。
・・・まあ、江戸時代1687年(貞享4年)に石堂流がこの不名誉と不文律を破って土居流を「追い越し」たことで、現在の博多祇園山笠のスタイルである追いつ追われつのスピードを競うような博多独自の祭が生まれたわけではあるが。(詳しくは『追い山笠』の「追い山笠の由来」を参照。)

歴史を紐解くと『追い越し』は過去数回記録されているが、追い越しをした事で町ぐるみの喧嘩にまで発展したこともあると記録されている。
現在ではそのような流同士の無用な確執やしこりを作る必要が全くないので、追い越しどころか追いつきさえも行わない。前の山笠との距離が近づいてしまった場合は、役員らが舁き山笠の進行を一旦制止し、前の山笠とある程度の距離を確保。距離が取れたら再び舁き出すのが暗黙のルールとなっている。舁き山笠は一旦動き出したら止めないしきたりがあるので、その山笠の運行を止めることは異例の事。その異例な事を行ってでも、相手の名誉を守る。これこそ『博多祇園山笠シップ』といえよう。

このような事例について、古い記録では「寬正7年(1795年)に奥の堂・赤間町の角付近にて六番山笠の東町下(東流)が五番山笠の洲崎町中(大黒流)に追いついてしまったのだが、六番山笠が舁き方を猶予したので無事に相済んだ、と記されており、その寛大さを称えて酒肴をおくった」と記載されている。(『博多祗園山笠史談』に掲載)

また、1967年(昭和42年)の追い山笠では、ある流が前の流を追い越しかけたが、二度に渡って山笠を止めて追い抜きを行わなかった・・・と記録が残っている。当時の新聞には「古老たちは『よいことをしてくれた。伝統がすたれてゆく時代、まだまだ本当の博多っ子の心意気は失なわれていなかった』と喜んでいる」というコメントが掲載されている。

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