より大きな地図で 博多祇園山笠 「流」エリアマップ【山笠ナビ】 を表示
十数カ町によって構成された自治組織の呼称であり、豊臣秀吉時代に行われた「太閤町割」に端を発した博多の町の区画分けの単位。
令和の世である現在でも、博多祇園山笠や博多松囃子などの運営単位となっている。時折「流れ」という表記を見かけるが、正しくは「流」と送り仮名は付かない。
「流」という呼称の起源については諸説あり、福岡藩を治めていた黒田家の出身地(現・岡山県瀬戸内市)に近い播磨・御着(現・姫路市)地方で「ため池」を「流」と呼ぶ事から由来したという「ため池」説や、小川や旗の数を数える単位として「流」があり、町の集合体が小川や旗と似ているという事に由来するという「小川・旗」説などがある。
「流」が付くのは舁き山笠を奉納する地域のみ。”走る飾り山笠”を奉納し櫛田入りも行う上川端通は、”飾り山笠の奉納”であるため「上川端流」とは呼ばれない。
戦後は一時13流にまで増えたが、その後様々な理由で流の統廃合が進み、現在は恵比須流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流の計七流が舁き山笠を奉納している。
・・・と書いたが、過去の新聞ではこの辺りの表記ルールがあいまいだったのか、「流れ」という表記が多用されていたり、「上川端流」など飾り山笠の地域もすべて「流」をつけた表記の新聞も多数あった。
「流」の表記については、調べたところ、平成2年(1990年)以降から表記が統一されているようだ。
「流」と読む癖がついてしまうと、「北辰一刀流」「オレ流」「東京女子流」といった流派や主義を表す「流」と読む漢字も、ついつい「北辰一刀流」「オレ流」「東京女子流」と読んでしまいがちなので要注意である。
(サムネイルの写真提供:福岡市)