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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

山笠ナビ博多祇園山笠用語辞典くしだじんじゃはまみや

櫛田神社浜宮(くしだじんじゃはまみや)

福岡市博多区築港本町217-2、博多ふ頭先にある櫛田神社の分社。
祭神は櫛田神社と同じ大幡主神(おおはたぬしのかみ)。

神社の裏手は博多湾となっており、海沿いに位置する神社であるため、祭壇の後ろには風よけの頑丈な壁が設置されている。

櫛田神社浜宮は、1975年(昭和50年)櫛田神社第47回式年遷宮に合わせ、現在の場所に移転している。

現在の浜宮の場所はここだが、1974年までは道を挟んだ現在野母商船株式会社福岡支社の敷地内の埠頭に建てられていた。(なお、現在の場所には博多プレイランドと福岡放送が存在していた)

KBC九州朝日放送が発売したDVD「走れ!山笠 1979~2010&1979」には、1979年の棒洗いの様子が写っており、当時は社務所らしき建物があったようだ。

もともと棒洗いは大正時代までは正式な山笠行事として博多浜にある櫛田宮の博多浜神域で行なわれていたが、港の埋め立てでできなくなり、昭和に入ると各流は町内の水道で洗う”略式”で続けてきた。しかし、 1964年(昭和39年)、山笠が国の「記録を保存する必要のある民俗資料」に指定され、山笠の資料を文部省に提出しないといけないため、しきたりや習わしを調査・記録する必要が出てきたため、この年から古式に則った棒洗いが復活。博多ふ頭の突端に神城をつくって古式どおり棒洗いを行った。

この時の写真を見ると、まだお宮はなく、注連縄を張った更地にばんこ(縁台)を2台置いて、右肩・左肩の棒をそれぞれ一本ずつ洗ってるような様子がうかがい知れる。土砂降りの中の神事だったようで、更地ゆえに足元が緩いので長靴を履いて棒を洗っている人が多いのが興味深い。

この古式に則った棒洗いを最初に復活させたのは中洲流。中洲流の記念誌「中州流50年の軌跡」によると、「戦後はじめて古式にのっとり、中州流が博多ふ頭で棒洗い神事を行う。のちに浜宮再建。」と記載されている。

博多祇園山笠では、舁き棒を洗い清める「棒洗い」の神事が執り行われている。
棒洗いが行われる期間は6月1日から6月下旬ぐらいまで。各流は自流の舁き棒を櫛田神社で引き取った後、トラック等を使って浜宮に運び入れて行われる。

通常、境祭壇に舁き棒の表を向けて垂直に並べて棒洗いを行うのだが、上川端通の舁き棒は他の流より長いため、境内に入りきれないため、祭壇と水平に並べて棒洗いの神事を行う。

棒洗いを行われている期間は、棒洗い神事が行われる事を知らせる立て看板が櫛田神社によって立てられる。

博多山笠が1988年(昭和63年)5月にオーストラリアとニュージーランドに遠征した際は、検疫等の関係上、山笠の道具を早めに送るため、それに合わせて神事も早く行ったのだが、棒洗いを行ったのは3月の初旬で小雪の舞う中で棒洗いを行った事が大変だった・・・とが座談会で当時の博多祇園山笠振興会副会長の石橋清助氏が語っている。

超余談ではあるが、博多部からは浜宮に行く際、浜宮は埠頭という事もあり地味に遠く、また博多中学校辺りから信号が刻んで点在。横断歩道も反対側にしかなかったりするなど、タイミングが悪かったりルート取りを間違えると到着まで時間が掛かる取材場所であるため、山笠ナビ的には毎年到着までの時間読みが難しい取材スポットとなっている。なお、棒洗いに行くまでの最短ルートを、山笠ナビ取材チーム内では「棒洗い道」と呼ばれている。

博多祇園山笠以外では、博多総鎮守櫛田神社の秋季大祭「博多おくんち」では、おくんち開幕前に櫛田神社から櫛田神社浜宮まで神幸が行われ、櫛田神社浜宮では「浜宮祭」と「神輿潔みこしきよ」が行われている。
「神輿潔め」は、博多おくんちで使う祭の神輿を山車に載せて曳きながら浜宮まで運び、浜宮に到着後は神事の後、海水でぬらした白布で神輿を磨きあげられる。

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