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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

飾り付け(かざりつけ)

文字通り博多祇園の「飾り」である人形を取り付ける作業。
飾り制作を担当した山笠人形師が下絵をもとに、山大工や流の若手に指示を出して、人形師が制作した人形や飾りを山笠台に飾り付けていく。

飾り山笠の飾り付けは毎年6月28日より解禁となるが、櫛田神社の飾り山笠は6月30日に御神入れの神事を控えているため、少し早めに飾り付けが行われる。
この解禁日は、戦後の一時期、PRを兼ねて「目立とう」という一部の山笠が飾り付け日を競ったため、「解禁日」が設けられるようになった、と言われている。1957年(昭和32年)は6月28日が「赤口」(いわゆる「凶」の日)であったため、縁起を担いで、6月26日に飾り付けを開始したという記録が残っている。

舁き山笠の飾り付け日は流によって異っており、千代流・中洲流以外の流は7月に入ってから飾り付けを行っている。お汐井取りが行われる前々日(御神入れの神事を行う日も加味して)となる7月7日までに飾り付けを済ませる流が多い。千代流と中洲流は、7月1日から飾り山笠と一緒に舁き山笠も一般公開しているため6月28日から30日の間に飾り付けを行っている。

舁き山笠の飾り付けは、流によって日程が違っていたり、御神入れが行われるまで人形の姿を表に出さないという習わしが厳格に守られてるため、飾り山笠の飾り付けに比べて報道される事がほとんどない(もしくは御神入れが終わってから報道される)。山笠ナビで舁き山笠の飾り付けの様子のレポートがほとんどないのはそのためである。

飾り山笠はそこまで厳格ではないものの、舁き山笠同様に御神入れまでは山笠の全体像が見られないように、山小屋に幕を下ろしたり、山笠の前に幕を張ったりするなどして、目隠しが行われる。

そして御神入れの神事を行い山笠が御神体になると初めて一般の人が見る事が出来るようになる。

飾り付けの指示

飾り付けは、山笠人形師が下絵を元に、山大工や流の若手などに指示をして飾り付けていく。人形師が自分がデザインした山笠を自ら飾り付けていくケースはあまりない。

飾りは、人形の他にも、屋形、波、岩こぶ、松、梅などの飾りがあり、人形師が全て手作りをして飾り付けの日までに準備する。

飾り山笠の場合はその大きさから大量の飾りが用意されるため、大きなトラックを使って前日搬入する事が多い。
舁き山笠は、飾り付けの当日に流の者が人形師の工房に頂きに行き、軽トラックに載せて山小屋まで運搬される。

飾り付け作業は、まずは山笠台の前に飾り付ける人形や飾りを並べ、大きい飾りや高い場所に飾る飾りから順に飾り付けていく。
飾り山笠の場合は、天神(てんしん)と呼ばれる額の差し物が最初に飾られる事が多い。その次は、上の方に飾る屋形やお堂などが飾られる。

舁き山笠の場合は、まず山笠人形を据えて、他の飾りを施していく。

人形師は、飾り付けの時に方向を示す指示を必要とする際、「筥崎」「福岡」などという山笠独特の符丁を使用する。これは指示を出している人形師と飾り付けをしている山大工らは左右の受け取り方が逆となってしまうため、左右の指示では飾り付け作業に混乱をきたしてしまうため。そのため、人形師は博多の人なら誰もが知っている地名を使って指示を出している。博多を知る山大工らにしてはどちらにその土地があるかは分かるわけで、この符丁を使って指示すると「ま少し、筥崎側に傾けて」「福岡の方にずらしてください」という指示となり、山笠に登っている人たちにも人形師が示す方向が正しく伝わるという仕組みである。

この符丁は、人や飾り山の場所によっては「岡(博多駅方面)」「浜(ベイサイド方面)」「中洲」「姪浜」「天神」「櫛田」「駅(主に博多駅)」などの地名が使われる事も。それでも分かりづらい時もあるので、山小屋の柱に「筥崎」「福岡」と書いた紙が貼られていることもある。

なお2015年静岡県で行われた「静岡まつり」に博多祇園山笠が参加した際、飾り付けで「ま少し櫛田側・・・ってどっちが櫛田?」と、静岡でしか起きない符丁問題が勃発。困惑する人形師を見て笑いが起きる一幕もあった。

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