福岡市博多区博多駅前1丁目にある臨済宗東福寺派の寺院。山号は萬松山。
開山は駿河国(静岡県)の出身の円爾弁円、諡号は聖一国師。大宰少弐武藤資頼)が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明の援助により仁治3年(1242)に創建した。
承天寺は『博多祗園山笠』の発祥の地として名が知られている。
博多祇園山笠の起源は、仁治2年(1241)博多に悪疫が流行した時に円爾が施餓鬼棚に乗り、町民らに棒で担がせて水をまきながら町中を祈祷して廻って病魔を退散させた事に由来すると言われている。
現在の山笠でも、承天寺は「清道」と呼ばれる大事な場所に指定されており、山笠が「勢水」を大量に浴びながら寺の前の細い道に立てられた清道旗を一周しながら、住職に拝礼する・・・という形で、その歴史は受け継がれている。
毎年6月1日と2日に行われている大般若の眞読(「夏祈祷」)の法要が行われ、2日目は承天寺一派の衆僧、博多祇園山笠振興会の役員や櫛田神社宮司、各流の総務らが長法被姿で参加。大般若経六百巻の真読法要が行い、今年の山笠の安全と成功を祈願。七流には、祈祷された安全祈願の札が渡される。
承天寺の清道旗は、承天寺清道会が管理・保管しており、承天寺が地区にある東流の駅前が毎年7月9日の午前中に清道旗を設営する。設営後は、承天寺の住職が旗をお祓いする”神事”が行われる。
追い山笠馴らし、追い山笠では、清道前の歩道に設置された施餓鬼棚に住職が座り、七流の舁き山笠の拝礼を受ける。承天寺は山笠発祥の地という事で勢水の量が多い。承天寺前で撒かれる勢い水は、毎年静岡の聖一国師生家に湧き出る清水を汲んできたもの。
境内は市道によって北東と南西に分かれている。これは1963年の博多駅移転に伴う区画整理事業によって通されたもので、このため山門や仏殿は南西側、本堂や墓地などは北東側に位置する形となっている。
2014年に福岡市の博多部の新しいシンボル、ウェルカムゲートとして、承天寺を分ける現在「承天寺通り」と呼ばれる道に博多千年門が建立。博多旧市街プロジェクトの一環で承天寺通りも石畳となった。
円爾が宗から帰国の際、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法を持ち帰ったとされ、承天寺はその製法を最初に伝えた最初の場所と云われており、敷地内には発祥の碑も立てられている。
なお、円爾は後に上洛して紅葉で有名な京都・東福寺を開山。晩年は故郷の駿河国に戻り禅宗の流布を行い、宋から持ち帰った茶の実を植えさせて茶の栽培も広めたことから「静岡茶の始祖」とも称される。
承天寺所蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、 禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されている(※一般公開は行われていない)。
また墓地には「オッペケペー節」で一世を風靡した新派俳優・芸人の川上音二郎の墓がある。