博多駅と築港地区を結ぶ「大博通り」と御笠川に挟まれた一帯の流。
昭和41年(1966)の町界町名整理事業で、東町流を中心に呉服町流、福神流、櫛田流、岡流の一部を加えて再編成。「東流」として創立。
2016年には半世紀を迎え、50周年記念誌となる「東流五十年史」を発刊した。
流区域には博多祇園山笠の開祖・聖一国師が開いた承天寺、日本最初の禅寺・聖福寺、 空海(弘法大師)が日本で最初に創建した寺院・東長寺といった古刹が立ち並ぶ。
櫛田入り、全コース共に山足の速さに定評がある。
特に櫛田入りでは舁き山笠を完全に持ち上げて清道を駆け抜け、清道には台足を擦った轍が残らないことで有名。
舁き山笠と飾り山笠を建てており、人形のテーマを合わせて全体として山笠美を表現するなど趣向を凝らす。
山笠台は舁き山笠、飾り山笠共用しており、山舁きを行う時に山笠台ごと引き出して飾りを乗せる形だったが、2018年より山小屋の位置が入れ替わった事で、それぞれの山笠台を用意するようになった。
流当番制を取り、当番町はおかない。流全体で費用を負担する。企画委員会議が企画、立案した事項を上部会議で順次審議し、総会で最終承認する。
総務は重要事項を決める本部役員会議で推薦し、毎年新年に行われる弁天講(総会)で承認される。
「弁天講」という名前は、東流は弁財天様をお祀りしているためで、年3回開催されている。東流役員経験者、現役員ら約250人ほどが参加しており、構成町19カ町が順次当番町として幹事を担当している。
青色の地域が東流の流区域となっている。
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流地域は、博多駅と築港地区を結ぶ「大博通り」と御笠川に挟まれたエリアで、博多駅側は出来町公園手前から、築港側は原三信病院のある大浜通手前まで・・・と縦に長い地域となっている。
構成町は十九カ町で、博多駅側から順に、駅前、御供所一区、御供所三区、御供所四区、東長寺新道、奥堂、金屋小路、上桶屋町、下桶屋町、北船町、上普賢堂町、下普賢堂町、普賢堂町、魚町、上東町、下東町、上濱口町、中濱口町、鏡町となっている。旧東町筋沿いがほとんどで、旧町名の伝統を守っている。
東流は、山笠準備期間初日となる6月1日に舁き山笠の小屋入り神事を行い、一年の山笠行事がスタートする。
7月1日に注連下ろしと、飾り山笠の御神入れを行う。舁き山笠の飾付けは7月1日以降に行われる。
7月10日の流舁きは午後6時より舁き出し。飾り山笠前から舁き出され、流区域をまんべんなく舁き回る。
承天寺も流区域であるため、承天寺の清道を廻る。
7月11日早朝の朝山笠は祝儀山笠であるので、各町内毎に子供を台上がりさせて山舁きが行われる。
途中、聖福寺にて表敬を行い、祝いめでたと手一本を入れるのが習わし。また、この朝山笠の途中で総務宅前に舁き山笠を舁き入れ、総務を祝う行事が行われる。
また、上濱口町、中濱口町、鏡町を舁き回った午前7時頃、昭和通り手前の浜口公園脇でで台上がり(表・見送り3名ずつ)をすべて小学生に変え、ベテラン勢が棒に付く子供台上がりを行う。そのまま山舁きを行い、公園の逆サイドにある萬四郎神社に参拝。子供達が手一本を入れた後、歩道橋下をくぐり東町筋に入るまで子供台上がりの行事を行う。
7月11日夕刻の他流舁きでは、山小屋舁き出しを行いそのまま櫛田神社で櫛田入りの練習を行う。
その後、東町筋に入って博多駅方面に向かって裏道を直進。空港通りを通ってJR博多駅に表敬訪問を行う。(JR博多駅への舁き入れは2008年(平成20年)から開始。)
東町流時代より飾り山笠を奉納していたが昭和18年に中断。昭和57年(1982年)より40年ぶりに復活し、今も奉納を行っている。
2018年までは呉服町交差点の南東角に山小屋が建てられ奉納されていたが、2010年以降度重なる強い勢力の台風の到来を受けた事を受け、自然災害に対する安全面を考慮し、2019年より呉服町ビジネスセンタービルのロビーに移動した。
飾り山笠が呉服町ビジネスセンタービルのロビーに移動した事で、呉服町ビジネスセンタービルのロビーに飾ってあった舁き山笠は、飾り山笠のあった場所に山小屋が建て、そちらの方に飾られるようになった。
昭和41年(1966)の町界町名整理事業を受けて「東流」が創立された後、流の融和を図るため、昭和43年より当番法被、水法被ともに統一法被を着用している。
水法被には背中に「東」の一文字。所属の町を判別するために、肩章を付ける。