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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

福岡ドーム(飾り山笠)(ふくおかどーむ)

福岡市中央区地行浜に所在する大型商業施設『MARK IS 福岡ももち(マークイズ福岡ももち)』に立てられる飾り山笠。
奉納から半世紀たち、球団の名前が変わっても、球場の名称が変わっても、山小屋が無くなって場所が移動しても、今もなお奉納当時のまま『福岡ドーム』と呼ばれている。
櫛田神社から最も離れた飾り山笠で、目と鼻の先にある樋井川を越えたら早良区に入るギリギリ中央区の場所に立てられる。

「福岡ドーム」誕生までの歴史

飾り山笠『福岡ドーム』の歴史を紐解く前に、直系ではないが、まずは「唐人町」の飾り山笠から語らなければならい。西唐人町自治会と唐人町商店街は、戦後間もない1950年(S25)より飾り山笠の奉納を開始した。山笠史上、もっとも西に立てられた飾り山笠の誕生である。1959年(昭和34年)にはわずか1年だけだが舁き山笠も奉納したのだが、1965年(昭和40年)に商店街のアーケード工事を機に奉納を終了した。

時は経ち、1974年(昭和49年)より福岡市東区香椎のユニード香椎アピロスが『香椎アピロス』として飾り山笠を奉納を開始。東区に山笠が立つのはこれが史上初となる。当時、香椎付近は新興住宅地として急速に発達してきた場所で、ユニード香椎アピロスは1973年(昭和48年)にショッピングセンター「アピロス」1号店としてオープンしたもの。1993年(平成5年)まで奉納を行ったが、1994年ユニードが株式会社ダイエーに吸収合併された。香椎アピロスは「ダイエー香椎駅前店」に生まれ変わった事で、これを機に飾り山笠も「ダイエー香椎駅前店」と名称を変えて奉納を継続する。

さてここで少し時間は遡り、プロ野球の歴史を紐解いてみる。1988年11月1日、南海電鉄は「ホークス」の名を残すこと等を条件に球団(南海ホークス)をダイエーに売却。本拠地を福岡市の平和台球場に移転し、球団名及び会社名は『福岡ダイエーホークス』と改められた。1978年に西鉄ライオンズがいなくなって以来の在福球団の誕生である。
1993年3月には、球団は新本拠地として福岡市中央区地行浜のアジア太平洋博覧会(よかトピア)会場跡地に、多目的に利用できる日本初の開閉式屋根を持つドーム球場を建設した。これが『福岡ドーム』である。
ホークス球団は苦節の時を噛みしめながら、1999年に福岡移転後初しかも本拠地でのリーグ優勝を果たす。そしてその勢いのまま日本シリーズも制覇し、福岡移転後初の日本一に輝き「20世紀最後のパ・リーグ日本一球団」となった。

閑話休題。話は山笠の話に戻る。飾り山笠の奉納を続けていた「ダイエー香椎駅前店」だったが、2000年(平成12年)1月末に閉店。それを受けて、2000年4月20日の山笠総会でダイエー香椎駅前店の代わって福岡ドームにて「飾り山笠」を奉納する事の参加申請が掛けられ、これが承認された。これにより唐人町を越え最も西に位置する飾り山笠「福岡ドーム」が誕生した。

「福岡ドーム」としての初奉納となった2000年の番付は「十六番山笠・福岡ドーム」。表の標題は「決戦巌流島」(置鮎琢磨人形師)、見送りはホークスの健闘を祈念して「めざせV2」(中村信喬人形師)だった。

飾りの特徴

他の飾り山笠と大きく違うのは、表と見送りの飾りのテーマ。他の飾り山笠は、表は伝統的な武者物や歴史物の標題が選ばれ、見送りにその時代を写す標題・・・例えばテレビアニメや映画、スポーツなどが選ばれる事が多いのだが、福岡ドームの標題はテーマの選択が逆となっており、表がホークス球団で、見送りに伝統的な標題が採用されている。

表の標題には、監督、前年に活躍した選手、その年に活躍が期待される選手をモデルにした人形。そしてホークスのマスコットキャラクターであるハリー・ホークの人形が登場する。年によっては、ホーク一家や、ソフトバンク時代になったらお父さん犬も登場する事がある。毎年6月に入り標題が発表されると、今年の人形のモデルとなる選手が発表され、ホークスファンと山笠ファンの間で話題となる。

ここ近年はホークスのその年のスローガンが標題に反映される事が多く、2024年の「VIVA」を受けて「美破鷹之誉」に、2023年の「鷹!鷹!鷹!(おう!おう!おう!)」が「 鷹鷹鷹躍動」に、2021年の「鷹く!(たかく!)」は「快進撃 鷹く」というように命名されることが多い。

とはいえ、福岡ドームでの奉納が始まった2000年(平成12年)は、表の標題は「決戦巌流島」(置鮎琢磨人形師)、見送りはホークスの健闘を祈念して「めざせV2」(中村信喬人形師)と、他の飾り山笠と同じ習わしだった。それが変わったのは2002年(平成14年)で、表が「決戦誉鷹城」(置鮎琢磨人形師)、見送りに「日本一桃太郎記」(中村信喬人形師)と表と見送りが逆転する。翌年一旦元に戻るも、2005年(平成17年)になると表に再びホークス物が登場。以降、そのま表はホークス物、見送りは伝統物の飾りが福岡ドームの飾り山笠の習わしとなり、今日に至っている。

変化する名称と場所

球場の名称

2004年末、ダイエーは経営再建を理由にホークス球団をIT企業大手のソフトバンクに売却。これによって現在の福岡ソフトバンクホークスが誕生する。それを機に、ソフトバンクの子会社でありポータルサイト「Yahoo! JAPAN」を運営するヤフーが福岡ドームの命名権を取得。これにより福岡ドームは『福岡Yahoo!JAPANドーム』と改称する。その後、2013年に『福岡ヤフオク!ドーム』、2020年に『福岡PayPayドーム』、2024年より『みずほPayPayドーム福岡』と名称が変わる。

山小屋の場所

「福岡ドーム」の飾り山笠は、これまで球場の南側に位置する5ゲート前大階段下の広場、通称「山笠広場」に山小屋を建設して、飾り山笠を立てていた。

しかし、海沿いという事から台風などの暴風になると危険性が増す場所でもある。2007年(平成19年)台風4号の接近に伴い、安全を鑑み、東流、中洲流 、博多駅商店連合会、天神一丁目、新天町、福岡ドームなど 10本が 13日午後から14日午前に撤去を行った。また、2014年(平成26年)大型で非常に強い台風8号の接近の際も、福岡ドーム、中洲流、千代流は独自の判断で撤去作業を行った。

2010年代から異常気象による気象災害の大きさや猛暑が問題視されるようになり、山笠の準備に伴う作業を行う人々や見物客への配慮を優先し、2022年(令和4年)から球場に隣接する商業施設「MARK IS 福岡ももち」に移設。場所は空調が効いた吹き抜けの2階「ももちステージ」が選ばれた。この移動により山小屋は建てられなくなり、飾り山笠は四面飾りとなった。

・・・と、このように球団の売却、球場名の変化、山小屋の場所の移設など、25年の間に幾多の大きな変化があったのだが、それでも変わらぬ『福岡ドーム』の名称が使われ続けるのは、この名前が福岡市民に根付いた愛称であるためと言ってもよい。

山小屋の場所

最寄りの交通機関

福岡市営地下鉄「唐人町」より徒歩10分
西鉄バス「みずほPayPayドーム」より徒歩3分、「九州医療センター」より徒歩5分

当番法被

「福」「ドーム」の文字が入った意匠を使用している。