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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

千代流(ちよながれ)

御笠川東岸の千代地区を流地域とする流。
千代校区と重なっており、またマンションが多い地域である事から多くの参加者を有しており、参加人数は七流隋一を誇る。

流区域には千代小学校、千代中学校、福岡高等高校、福岡青松高校などの教育機関が多数存在。また歴代の福岡藩主(黒田家)が眠る墓所に隣接するかつての菩提寺・崇福寺や、商売繁昌の「えびす様」とご縁結びの「だいこく様」をお祀りする筑前博多十日恵比須神社、福岡県庁、東公園、巨大ショッピングモール「ブランチ 博多パピヨンガーデン」など、快適な都市空間整備が進められた地域でもある。

山足の速さには定評があり、櫛田入りタイム、全コースタイムでは常に好タイムを計時する。

流の歴史

千代地区はもともと櫛田神社の氏子区域ではなかったが、前身である「恵比須市千代校区」は、大正の初め、町内の梅津高次郎氏が恵比須流と話し合い、恵比須流の加勢町として山笠に参加したのが始まり。

戦後初めて行われた山笠(昭和23年:1948年)では、五番山笠・恵比須市千代校区として櫛田入りに参加(※この年は戦後直後で道路事情が整っていなかったため全流櫛田入りのみ)。
翌昭和24年(1949年)に「大津流」として、その年の櫛田入りと再開された追い山コースに参加した。

その翌年となる昭和25年(1950年)、千代校区は戦後山笠の復興に熱心だったことが博多祇園山笠期成会に認められ正式加入。流の名称も「千代流」と改める。

それ以来歴史を重ね、平成11年(1999年)には流創立50周年を迎えた。今は氏子総代を出すまでになった。

構成町

昭和52年(1977年)の町界町名整理事業までは三十数カ町で構成していたが、事業の影響を受け、千代一~六丁目に整理された。(そのため、一時は流当番制を採用していたが、現在は当番町制に戻っている)。

所属する町は多く、2024年現在では、千代一丁目(一区、眞砂町、三区、六区、七区)、二丁目(三区)、三丁目(一区、大学通住宅、新博多、大津町、六区、千代田住宅、八区)、四丁目(三区、四区、六区、旭小路)、五丁目(シャルマンコーポ博多、美和住宅、千代東住宅、千代団地、六区)、六丁目(東浜住宅)、六髙住宅の24カ町で構成されている。

当番町は持ち回りではなく、各町から選出された役員で構成する独自組織の「千代流運営委員会」(昭和52年(1977年)結成)で協議して決定している。

子供旗

流行事では各町で行動を行うため、各町には目印となる各町毎に色が異なる旗が掲げられる。
千代流五十周年記念史で確認する限り、昭和30年(1955年)頃から各町独自の旗が掲げられ始め、平成5年(1993年)頃から現在のデザインになったものと思われる。
各町の旗の色は以下の通り。(※千代流五十周年記念史のスキャンデーターからの色抽出に準ずる)

一丁目一区
一丁目二区
一丁目三・四・五区
一丁目六区
一丁目七区
二丁目三区
三丁目一区
三丁目二区
三丁目四区
三丁目五区
三丁目六区
三丁目七区
三丁目八区
四丁目三区
四丁目四区
四丁目六区
旭小路
シャルマンコーポ博多
千代東住宅
千代団地
五丁目六区
美和住宅
東浜住宅
六高団地

千代流の独自行事、独自の習わし

千代流は、舁き出しの際に山揺すりを行いながら祝いめでたを謡いあげたり、子供山笠と舁き山笠が共に正面に向けて互いに激励し合う親子対面式、廻り止め到着後は博多手一本で締めるなど、独自の行事や習わしが多い。
2018には合同追善祭、2023年は山笠史上初の女性人形師を採用するなど、話題となった。

舁き出しの”祝いめでた”

千代流は試し舁き、流舁きで舁き出す際は、台上がりが祝いめでたを謡いあげて舁き出す。台上がりが祝いめでたの1番を謡いだすと、舁き手は山揺すり(山笠を前後に揺らす)を行いながらゆっくり前進。台上がりが謡い終わると同時に一気に舁き出す。

廻り止め後の”手一本”

追い山笠でゴール地点である廻り止めを通過すると、喜びの中、全員で手一本を入れるのが恒例。追い山笠を走り切った喜びと、タイム掲示を確認しての歓喜の中、行われる手一本は喜びが100%入ったスピードのある力強い手一本で、それを見たいがために廻り止めで見物をしている人も多い。

親子対面式

千代流子供山笠が行われる7月最初の週末に行われる(当番町のエリアによって開催される曜日は異なる)。
千代小学校を舁き出した子供山笠は山小屋へ向かい、山小屋前に控えた”大人の”舁き山笠と表を向けあった後、共に台上がりが激励の口上を述べてエールを送りあい、最後に手一本が入れられる。

山笠の”お色直し”

ここ近年、千代流の舁き山笠は、集団山笠見せが行われる7月13日より飾りに手が加えられ”お色直し”が行われる事が多い。

最初は2016年「秀麗陵王鬼面勲」で、「美しすぎる武将」高長恭が恐ろしい鬼の仮面を着けて戦いの指揮を執ったという「蘭陵王」の話から、7月13日より仮面を取り外した蘭陵王長恭が秀麗な素顔を現し話題となった。

2018年「藤花庸功千代芳」では飾った藤の花が増え、2023年「(表)日輪幸慶博多照」「(見送り)俊豪誓約清明証」では手にした物が差し替えられ、2024年「轟」は見送りに藤の花の間を泳ぐ龍が追加された。

また、2017年の飾り山笠見送り「がんばろう熊本」では、飾り内に大小含め7体のくまモンが隠れており、7月8日以降にさらに2体増やされるという、ゲーム感覚満載の”お色直し”が行われた。

子供山笠の開催

千代流の子供山笠の歴史は古く、新聞記事によると1954年(昭和29年)宝来町の染井藤太郎氏が山笠を寄付し、初めて千代エリアに子供山笠が誕生した。

その後、一旦途絶えるも、1987年(昭和62年)に「子供たちにも舁き山笠の醍醐味を」「小さい時から山の舁き方を教え、伝統、格調を伝えていこう」と、千代流運営委員会が毎月3000円ずつ積み立てを行い約150万円をかけて子供山笠を製作。小学校創立100周年を迎えた千代小学校に寄贈して子供山笠を復活させた。大きさは大人の舁き山笠の2/3強、重さは約500キロ。

現在は、7月の最初の週末(金・土・日)に行われており、当番町のエリアに舁き入れる際は”親子対面式”が行われる。

なお、子供山笠初日の午前中には、御神入れの神事を執り行ってから初日の山舁きが行われる。

飾り山笠の奉納

千代流の飾り山笠は、山笠に正式加入した昭和25年(1950年)より飾り山笠建設を開始。しかし、昭和33年(1958年)費用の面から休止する。
昭和38年(1963年)に6年ぶりに飾り山が復活したが、この一年だけで再び休止となる。
再び飾り山笠が復活したのは27年後の平成2年(1990年)。西部ガス本社が入居する再開発ビル「パピヨン24」北側の旧202号歩道に建設され、高さは約12メートル。標題は「双面道明寺」「奮戦桃太郎」だった。
だが、令和2年(2020年)より世界中を襲ったコロナ禍の影響を受け、博多祇園山笠の奉納が延期となったことを機に建設は休止。以来休止が続いており、三度の復活が待たれている。

流の地域

黄色の地域が大黒流の流区域となっている。

当番法被、水法被

流の融和を願って、当番法被、水法被ともに統一法被を着用している。
当番法被は5種類存在していたが、昭和46年(1971年)に流当番制に移行した事に合わせて旧西地区の法被に統一された。
現在の当番法被は「千代」の文字を図案化したもの。水法被は背に「千代」の二文字、肩にはどの町の所属かを明確にするために校区を記した肩章を付ける。

長法被
(統一法被)
水法被
(統一法被)

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