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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

オールナイト(おーるないと)

夜を徹して起きること。いわゆる「徹夜」。最近では徹夜で遊ぶことを「オール」と略すこともある。

そんな「オールナイト」であるが元々は博多が発祥であると言われており、『オールナイトは博多に始まり、全国に広がった』という事は、博多の人にとってかなりの自慢だったらしい。

昭和29年(1954年)の追い山の日、櫛田神社に近い中洲の映画館(当時は中洲地区だけで17の映画館があった)が、追い山笠が始まるまでの待ち時間を狙って、14日深夜から15日早朝に合わせた「オールナイト」営業を行ったところ、この日の営業売り上げが予想以上によかった事により、この年より追い山笠オールナイト営業が恒例になったという。
1956年(昭和31年)の新聞記事には「十四日オールナイト興行をした中洲の映画館は十四、五日の入りは平日の四倍近かった」「十四日夜は、中心部のビヤホールはどこも超満員。生ビールの大ダルが数十本アワと消えた」、1961年(昭和36年)には「この夜の博多の人出は延ベ二十万人をくだるまい」という記事が載っており、オールナイト営業した店舗はかなり盛況だったようだ。

以降、映画館だけでなく様々な業種で追い山笠オールナイト営業が行われるようになり、また、この「オールナイト」という営業形態が日本中に広まっていった、と言われている。

現在も14日夜から15日早朝にかけて、特別営業を行う居酒屋や屋台などの飲食店は多く、見物客も夜を徹して飲んでから追い山笠見物に行く、そして追い山笠見物を終えてから朝食代わりに食べて帰る・・・とスタイルが今も残っている。

「オールナイト営業」が生まれるまで

舁き山笠が戦後復活した1949年(昭和24年)の新聞を読むと「暴徒はオールナイトのダンス・ホール荒し、飲食店のただ食いなど不祥事が続発」という記事がありので、”オールナイト営業”というもの自体は、この頃から既にあったようだ。なので、「オールナイトは博多が初」というのは「映画のオールナイト上映は博多が初」という意味なのかもしれない。

映画のオールナイト上映については、1978年(昭和53年)の新聞記事によると、東京から福岡東宝の支配人に着任した島田四四三さんが発案したと紹介されている。

当時の博多は、追い山笠に合わせた公共交通機関の特別運行などはほとんどなく、追い山笠が始まるまでの時間、駅や道ばたに寝ころんで山笠が始まるのを待っていた人が多かった。それを見た島田さんは「映画を見せて時間を過ごしてもらったらどうか」と映写技師、宣伝係に相談。近所の寿司屋にも無理やり頼んで寿司の弁当を用意してもらった。
上映映画はイギリス製のシネマスコープ『壮烈ガイバー銃撃隊』、当時はかなりの切り札的大物映画のようで、ギリギリまで秘密にしていたようだ。
そして当日を迎えたところ、当時は冷房はなくムシブロのような館内だったが超満員。館内の廊下で弁当を広げる人もいたという。
上映時間は通常の午後10時の終映後に3回、午前四時半まで連続上映を行った。
歩調を合わせ山笠オールナイトに踏み切った他の映画館も、いずれも大当たりだったそうで、記録によると「東宝など普通の一日分より多い三千人、大洋が二千五百、博多日活が千六百、福岡日活、松竹それぞれ千人近くで、合計一万人近くの客」が中洲の映画館を利用。しかも遠方から来た人にとっては映画館で映画を見る方が旅館に泊まるよりも安かったので、映画館で映画を見るより居眠りしたり、寿司やサンドイッチを出したら飛ぶように売れたとされている。

後年、島田さんは『山笠のように夜中に祭りをやるところはざらにはない。だからオールナイトができた』と語っている。

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