博多祇園山笠は、いよいよ『動』の山笠へ突入。7月10日の夕刻、各流で舁き山笠が動き出します。
午前中は櫛田神社にて献茶献華式が行われ、嵯峨御流の生け花や、南坊流の作法で点てられた茶が櫛田神社に奉納され、茶は水法被の上に当番法被を羽織った博多祇園山笠振興会の役員や各流の総務らにも振舞われました。
その後、櫛田神社の巫女が浦安の舞を奉納しました。
続いて、櫛田神社の拝殿裏にある注連懸稲荷神社の前で野点、通称『男野点』(おとこののだて)が行われました。
「南坊流」が山笠の役員に振る舞う野趣豊かな茶会行事で、天正15年(1587年)豊臣秀吉が九州征討の折に、秀吉の命により千利休が千代松原で初めて設営した方式で、利休が武将らに野点手で茶を振舞い、戦いに臨む武将たちは甲冑をつけたまま荒ぶる心を静めるために茶を喫したという言い伝えから行われている行事です。お茶の振る舞いをお手伝いするのは一番山笠の子供達。水法被姿でお手伝いを行います。
まずは櫛田神社の神職が、野点に参加する参加者をお祓いします。
野点を飾り立てるのはシンプルに槍一本のみ。この槍はこの男野点の時だけに披露される櫛田神社所有の槍で、戦の前に行われた茶会を意味しているとの事。
お茶が点てられている間、水法被の子供たちが茶菓子を振舞います。
点てられた茶が振舞われ、男達はぐいっと一杯。当番法被の男達は流舁きの前のひと時を心を鎮めて茶を楽しみました。
最後に博多手一本が入れられ茶会は終了。いよいよ流舁きの時間へ入っていきます。
子供達も大役を果たし、リラックスした明るい表情を浮かべていました。
夕刻になると、各流で流舁きが始まります。博多祇園山笠の起源が「承天寺の開祖・聖一国師が町民が担いだ施餓鬼棚に乗って祈祷水を撒きながら町を清めて回った」という事から、流の地域内を舁き山笠が走る事で地域が祓い清められ疫病退散を行われるとされており、本日7月10日はその初日。流の区域を舁き山笠が走り、勢い水が飛び交います。
午後4時から千代流と中洲流が舁き出し。午後5時から大黒流と土居流、午後5時半から西流。そして午後6時から東流と恵比須流が舁き出します。
※一番最後に本年の流舁きダイジェストムービー(Youtube)を掲載しています。あわせてご覧ください。
坂口です。
— 二丁目お茶の間劇場 月曜午後5時30分 (@rkb_ocha) July 10, 2025
博多祇園山笠/10日 #流れ舁き 。六番山笠 #土居流(当番町:西方寺前町/浄土宗·西方寺の門前町)の撮って出し🤓#rkb_ocha pic.twitter.com/GthjfSeXkE
山笠があるけん博多たい
— 福岡グルメwakamechan (@Miyuki66943803) July 10, 2025
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土井流れ pic.twitter.com/Papd5k267s
午後7時に東流の舁き山笠が山小屋に戻り、七流全ての流舁きが終了しました。本日より毎日舁き山笠は動き、明日11日は早朝5時と夕方の2回、舁き山笠が博多の町を浄め回ります。