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山笠ナビ山笠ナビ通信山笠ニュース特別インタビュー:”ガンダム山笠”を動かした男たち~第4回「上川端商店街振興組合理事長 正木研次」

特別インタビュー:”ガンダム山笠”を動かした男たち~第4回「上川端商店街振興組合理事長 正木研次」

”ガンダム山笠”を動かした男たち ④(全6回) 八番山笠から博多や福岡市を元気に、そして全国の祭のモデルに 上川端商店街振興組合理事長 正木 研次

「走る飾り山笠」こと「八番山笠 上川端通」を奉納するのは
キャナルシティ博多と博多リバレインという
博多の二大大型商業施設を繋ぐアーケード商店街「上川端商店街」だ。
今年の山笠で最も話題になった「ガンダム飾り」は、この上川端通の飾り山笠に飾られた。
その勇壮な姿は今もなお商店街の広場に飾られており、話題のあの飾りをいつでも拝むことができる。

780年も続く博多の伝統的な夏祭りと、45年もの絶大な人気を誇るアニメーションの”異色のコラボ”は、
いかに企画され、そしていかに実現したのか。
その企画のハンドルを握ったのは
上川端商店街振興組合の理事長である正木研次氏だ。

正木 研次MASAKI kenji

1965年福岡市生まれ。
東京の大学を卒業後、家業のアパレル業を見据えて様々な業種を経験したのち、福岡に戻り家業に入る。
現在、上川端商店街振興組合理事長、福岡商工会議所常議員、福岡市商店街百貨店量販店連盟会長、福岡県商店街連合会会長など数多くの団体の役員を務め、地元貢献・活性化に力を入れている。
博多祇園山笠では、土居流 上新川端町に所属し総代を務め、また、上川端商店街理事長として八番山笠上川端通を運営する。現在、博多祇園山笠振興会本部役員・会計を務める。

上川端商店街上川端商店街振興組合

博多で最初に栄えた商業の町で、現在はキャナルシティ博多と博多リバレインの大型商業施設を繋ぐ約400メートルのアーケード商店街。。
『博多の心に出逢う街』を理念とし、博多の中心部の回遊性を高め、やすらぎのある街作りを行っている。
春には博多どんたく、夏には博多座船乗り込み、博多祇園山笠、冬にはせいもん払い・・・と博多商人の歴史・文化・伝統の継承を担っており、博多祇園山笠では「走る飾り山笠」こと八番山笠 上川端通を奉納する。

  • 組合の共同事業
  • イ.共同販売、宣伝、イベント事業
  • ロ.アーケード、カラー舗装等の環境整備事業
  • ハ.山笠、どんたく、おくんち等祭事への参加
  • ニ.商店街活性化,近代化に関する調査事業
  • ホ.川端ぜんざい広場事業の運営、貸店舗事業
  • ヘ.組合員の福利厚生に関する事業
  • http://www.hakata.or.jp//
『今度、舞台に出られるんですね』 博多の初冬の名物「せいもん払い」を発案した、博多下川端の漬物商、八尋金山堂の八尋利兵衛の話を、創立30周年を迎える劇団ショーマンシップが2024年12月22日に創作オペレッタ「やっぱり利兵衛~せいもん払いを始めた男 八尋利兵衛伝~」として博多座にて上演。正木氏はその舞台に友情出演した。 https://showman.jp/30_rihei/30_rihei_index.html
正木理事長
あー、そうそう。12月22日。稽古は12月1日からの予定で、そっからどんどんどんどん追い込んでいって22日は博多座で・・・もう、やるしかないからね(苦笑)。
正木理事長
そう、初舞台(笑)。船乗り込み※注の事務局長してるから、イベントで舞台からちょっと喋るって事は経験してるけど、見せるための演劇としては初めてで。若い時、東京にいた時は事務所に入ってて、そこで映画とかコマーシャルみたいなのにちょこちょこ出てたんだけど。
『船乗り込み』 博多座が毎年6月に上演する「六月博多座大歌舞伎」を前に、出演する歌舞伎俳優のご当地到着を船に乗ってお披露目するイベント。江戸時代から続く歌舞伎の伝統行事で、現在行っているのは道頓堀川(大阪)と博多川(福岡)のみ。 https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/fukuoka/event/2718166.html
正木理事長
アルバイト程度ですよ?(笑)。別段、芸名使って本格的に活動してたわけじゃなく、アルバイトでちょこちょことね。
ただ、今回、映画とかみたいに撮り直しとかできるもんじゃないですか。こっちは一発本番でしょ? いわば生放送みたいなもんだから・・・もう、ねえ?(笑)。
正木理事長
そうそう。福岡県商店街連合会の会長もしてて。それをしているから、さらに福岡県警の万引き防止協会の会長とか、そういう色んなものもやらせてもらってて。
『6人制バレーボールのGM』 正木氏は、6人制男子バレーボールチーム「福岡ウイニングスピリッツ」のGMも務めている。 https://www.winning-spirits.jp/
正木理事長
そうそう。そこ同級生がいるんでね。
名刺の裏にけっこう書いてるんだけど、まだ書けてないのもある(笑)。
正木理事長
今2期目で、1期2年なんですよ。それで今期また始まったんで今3年目ですね。それまでは理事やったり、副理事長をやったり、専務理事をやったりして、もう20年ちょっとやってますね。運営そのものにはずーっと関わってて。
正木理事長
戻ってきたのが27、8歳ぐらいの時かな。それまで東京で仕事してて。うちはアパレル業、洋服屋なんで、言ってみれば丁稚奉公を東京でやってて。小売りを先にをやってたんだけど、それから卸の方や作る方などの生産の方の勉強のために、何社か入って勉強したんですよ。それで博多に戻ってきて。その頃はまだユニクロとかH&Mとかああいった物が入ってきてなかったんですけれども。
ただ、これから先、海外とのやり取りとかが将来的に出てくるだろうという事で、韓国や中国に行きだして。さらにヨーロッパのイタリアの工場と提携してオリジナルブランドを作ったり・・・と、向こうの商品をこっちに輸入したりする輸入業を始めたんですね。そこから、ヨーロッパだけじゃなくてアメリカのロサンゼルスに行って、ロサンゼルスのFOREVER21※注の本社に行って、そこに卸の方としてバッグの発注を向こうの方に持って行ったりとか、そういった事をやってたんですね。
だからその頃は、僕は全然山笠に出てなかったんですよ。仕事が楽しくて全然興味が湧いてなかった(笑)
『FOREVER21』 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くファストファッションストアチェーン。2012年には福岡に初出店。2019年に日本撤退するも2023年に再上陸した。 https://forever21.jp/
正木理事長
その頃はもう仕事が好きでね、仕事をやりたくて東京に行ったんで。
東京に行くまでは、山笠には関わってたんですよ。中学生からずーっと川若で若手に入って出てて。ただ、東京に行くと同時に、あんまり戻ってこなくて。
で、こっちに戻ってきて山笠に出るって事になってね、「んもー、しぇからしかねぇ」って(笑)。
正木理事長
だって、仕事が面白かったもん(笑)。もう仕事にハマってしまってねえ。そっちが面白かったからねえ。
正木理事長
あら、そうなの?(笑)。僕はね、全くだったんですよ。「戻る」っていう選択肢はなかったんですけど、うちのお袋が体調を崩しましてね。母親もうちの会社に入ってたんですけど、体調悪くしたから現場を離れるってことになったんで、それで僕が戻ってきたんですね。
正木理事長
こっちに戻ってきたんですけど、しばらく山笠に出てなくて。2年間ぐらいほったらかして仕事してたんですよ。
そしたら、周りの先輩から「親父がやりよぅのに、お前がせんというのはないやろ」と言われて。自分の親父が会社の社長で、(上川端商店街振興組合)理事長もしてて、総務とかも何回かやってるんで、周りがねえ。しょうがなく、しぶしぶ山笠に戻ってきた(笑)。
正木理事長
そうそうそうそう(笑)。その時はまだ一般手拭の若手から始めて、何年かして赤手拭を頂いて。それからずーっと赤やってその後取締やって。
で、取締終って「なんかゆっくりできるかな」と思ってて、したい事をしようと思い立って、マラソンを始めたんですよ。
正木理事長
福岡マラソンの第一回の時に応募したら当たったんですよ。当たったんですけど、そのー・・・長い距離を走ったことはなかったんですよ、それまで。
正木理事長
なかったんですよ。それが初だったんですね。当たって「うわー、やべえ。山笠の5キロは走ってるけど、42キロは走ったことないな」って思って。そしたら西日本新聞で”初めてマラソン走る方の講座”みたいなのをやるんで、それに応募して当たったんですね。そこで自主練しながら毎週土曜日の練習行って朝6時半から2時間ぐらい、ずーっと土曜のたんびに走って。それがあったから、初マラソンで4時間20分で完走できたんですよ。そこからマラソンにハマりだしたんですよ。
正木理事長
自分も楽しくなって、マラソン仲間も増えていってね。で、本格的にハマろうと思ってたら、土居流上新川端町の先輩から「次、総代※注で戻ってこい」って言われて(笑)。
『総代』 各町の代表者で、事実上の「町のトップ」。その役職も重要で、自分の町内だけではなく流全体の様々な取り決めを行ったり、山笠(舁き山・飾り山)の飾り付け、基本構想などにも関与する。
正木理事長
そうそうそう(笑)。まあ、その時は当番町だったんですよ。それで戻って来いって言われてて。それで戻ったら「山笠委員※注ですよ。
『山笠委員』 経験豊かな年長者が選ばれることが多く、流の代表である総務を補佐して行事の円滑な進行を担う重要な役職。
正木理事長
それで、山笠委員して当番終わって一年経って、その次の年に今度は八番の総務※注をやったんですよ。八番山笠の総務って組合の理事長とかが交代でやってたんですが、普通の飾り山と違って八番の場合、動かさないといけない、動員しなくちゃいけない。それが結構大変なんですよ。ずーっとできないじゃないんで、1年交代でいろんな方がされてたんですが、商店街の理事でもあるから「してくれんか?」って相談を受けて、八番山笠の総務を一年やらせてもらったんですね。
『総務』 流の代表として祭り行事の統括を行う。その年の流の最高責任者。
正木理事長
そうですね。それでその時に、せっかく八番山で総務を受けたんであればね、一つやろうと思ったのは八番山笠の改革。八番山笠はいろんな人の協力で成り立っている山笠だから、参加している人が伝統を継承しながらこれからもきちっと長くできるように整備して。まあ一年で全部やりきれたわけじゃなかったけど、それをやったんですね。
正木理事長
ちょうど翌年からNHKの大河ドラマで「黒田官兵衛」が始まる年でね。山笠の飾りの方も、官兵衛は福岡の地元の偉人だからそれを大いに持っていこうという事で、官兵衛を表に飾って。見送りにはうちの先祖である正木宗七※注。博多人形を作った人ですね。それを飾らせてもらって。当然宗七と官兵衛とのやり取りもあったんで、それも題材にしようということで、やらせていただいて。
で、総務を務めさせて頂いて、翌年は役職がまた戻ってとりあえず総代で。今度こそゆっくりしようと思ってたら、今度は「振興会やらんか」って言われて今に至ります(笑)。
『正木宗七』 江戸期の瓦職人。1600年(慶長5年)、福岡藩御用瓦師として博多の地に移り住み、瓦の粘土で人形を作って藩主の黒田長政に献上したのが博多人形の初めとされている。
正木理事長
もともとをいえば、八番山笠は本当は”広告山”なんですね。商店街にお客様がきていただくようにする山、それは他の飾り山笠と同じですよ。これがあるからお客さんが来てくれて商店街でお買い物をしてくれる。それが広告山、飾り山笠の存在なんですよ。もともとはそうです。
ただ、うちの場合はもともと土居流の飾り山笠っていうそこの前身があるんですね、昭和38年まで。それをどうにかして復活させてそれを動かせんか、という事を当時半田(新一)さんがそう考えて。背が高い山笠がまた市中を駆け巡ることは、江戸時代以来なんですね。背の高い山笠を動かすためには電線だったりをどうにかせにゃならんでしょうと。それらの障害をどうにかするために、高さを自由にできる山笠をその時に作られたんですね。そういった事ができる山を60年間やらせて頂いているので、私たちは先輩たちの意向はずっと守んなくちゃならないと。
でも、いろんな意見もあるんですよ。「八番山笠は動かさんで、もう飾り山笠でいいっちゃないか」とかね。でもね、やっぱこれはね、結局、追い山笠と追い山笠馴らしで、櫛田神社を走らせていただく時のお客様の反響をいただくとね、これはもうやめられんな、と。うん。
正木理事長
やっぱやらないかんって思うのは、山笠の歴史的背景ですね。あの大きい山笠が、昔は道を走ってたわけですよ。その状況をもう一回再現できる山笠ってのは、今は八番しかないんで。そこは何としてでも櫛田入りだけでも絶対にせなならんな、というのは、やっぱありますね。
だから、そのための町の下地作りとかだったり運営のやり方だったりってのは、今でも研究をずっとしててね。人が少なくなったらどうする、コロナの時はどうしよう、こういときはどうしようというのは、いつも考えてるんですよ。ただ、それもお金がかかる事なので、それを運営するにはこれが必要、お金が必要となるんで、それは結局商店街でみんなで負担しているんです。
正木理事長
そうそう。例えばみんなの締め込みをする場所とかね。昔は締め込みをするのは、もともとは冷泉小学校の体育館を借りてたんですよ。それが取り壊されちゃったから、今は公民館をお借りしてるんです。ただ体育館と比べると狭くなったんで、今は公民館の中だけじゃなく駐車場にテントを張ってそこでやったりとかね。あと、みんなをA班、B班、C班みたいに分かれて来てもらって時間を分散したりとかしてるんですよ。
昔は確かね300人か400人ぐらい体育館に集めて、そこで合同で着替えて(笑)。で、着替え終わってみんな整列してもらってから、それから舁き方とかいろんな勉強会を1時間から2時間程度そこでやらせていただいてましたね。

自分が納得いくものを作りたい信念があるから、安心して頼める

正木理事長
昨年の12月ごろだったと思います。
正木理事長
その時はまだなかった。そもそもまだ版権元のBNFナムコフィルムワークス(以下BNF)さんも「山笠とのコラボではどういうことが出来るんですか?」ってまずそこからのスタートだったんですよ。
とはいえ、「じゃあガンダムを舁き山笠に」っていうのは無理な話じゃないですか。
『オリンピックとか宇宙ロケットとか』 昔は世相を反映した舁き山笠も登場しており、東京オリンピックが開催された1964年の土居流の舁き山笠には聖火に点灯する選手の人形が、昭和42(1967)年の東流の舁き山笠には地球をバックにロケットが煙を上げながら飛ぶ人形が飾られたりもしていた。
正木理事長
そうそう。だから、その相談は飾り山笠だよねってなって。その中で上川端商店振興組合の私の方にスライドしてきた形で。
正木理事長
そうそう。それで、広告代理店さんが「お祭は7月だから、来年の5月ぐらいから話をし始めたらいいですよね?」って話すのね。いやいやいやいや!と(笑)。
正木理事長
まあ、そう思うよね(笑)。「いや無理です」「もう今年中に決めてもらわないと、これ進みませんよ」って言ったら「え? そんなに早いんですか?」っていうから「そうですよ」って。まず、飾りに関する手拭いだったりとかの染め物とか、それらに載せるための絵を人形師が描いたりとか、そう言った事を全部せないかんと。そういった物に関してはやっぱ時間がかかると。だから申し訳ないけど、2023年以内にある程度結論を出して言ってもらわんと、年明けでどうのこうのってのは無理って話して。
正木理事長
まあ・・・まあ60周年だから、大きな盛り上がりをって事も全く考えなかったわけじゃないけど、だからと言ってそういう凄い話が絶対に来るっていう保証もないじゃないですか。だから、たまたま60周年にそういう相談が来たって事は、タイミングが丁度よかったかなという気はしますね。
ただ、前のスターウォーズ※注をやった時も結構大変だったんですよね。あの時は親会社がディズニーだから、ロサンゼルスとのやり取りもあって大変だったんで、あれ考えたら「あ、これ結構大変よね」ってのが分かってましたね。
『前のスターウォーズ』 2017年上川端通の見送りは「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」。日本の伝統文化と、世界規模の人気を誇る映画がコラボするとだけあって、発表されると全世界的に大きな話題を呼んだ。
正木理事長
そうですね。その時はまだ誰にも言ってませんでしたね。まだ私の中で収めておきましたね。
ただ、来年の総務をやる長﨑総務にはその相談をして「一応こういう話があるっちゃけど」「ちょっと見送りをそれにしようと思うが」って言って話はしてて「その話が決まった時は見送りは、じゃあそれで」って話はしましたね。
あと、人形師の田中勇人形師に。スターウォーズの時、ロボット(※C-3PO、R2-D2、BB-8)を作ったんですけど、ロボットを山笠人形で作るっていう事が結構大変だったので。多分、きちっと100パーセント再現できなくちゃいけないって言われるだろうなと思ってたんで、一応田中人形師には先に相談して「こういう話があるけど作る?」って言ったら・・・
ナビ 正木理事長
(爆笑)
正木理事長
そうそう(笑)。「やります! やります!」って乗ってきて。最初「興味なかったらなかなか難しいけど、どうかと思ってね」って話をしたんです。
かといって、これが出来ないから田中人形師を変えるってのは僕は全然頭になかったから、まず彼が出来るか出来んかってのも、それもこの話を受ける一つの要因ではあったんで。
正木理事長
それはその相談をしたときに、初めて知りましたね。「こういう話があるけど作る?」って聞いたら、「実は私ガンダムが大好きだから、ぜひやらせてください」って、聞いてすぐに返答だったからね。「あ、そうなん?!」って。
正木理事長
そうそう。だから、勇君(※田中勇人形師)ができんって言ったら、ちょっとまぁ・・・考えてたと思いますね。だけど、彼もノリがよかったし、すぐにパッと「ぜひやらせてください」ってきたんで、それでBNF側に正式にしましょうってなりましたね。
正木理事長
初代のアムロとかの頃ね。あの当時、セル画とかあったじゃないですか。それをいっぱいコレクションとかしてた。
正木理事長
そうそうそう。セル画の直売会とか、あと「アニメージュ」とかいう雑誌あったでしょ。あれも買っててね。
正木理事長
違う違う(笑)。僕ではないです。
・・・多分これ、BNFさんですよ。BNFさん側から言ってきたと思います。確かいくつか候補があってその中から選んだ覚えがあります。
正木理事長
契約書が・・・それが結構・・・結構、ねえ?(苦笑)。
正木理事長
そうそう。だからもう一筆両方向ピシッと内容を全部見て。それから、どういう形でするかとか、山笠が終わったあと人形はどうするかとか、人形を撮った写真を勝手には出さないでほしいとか。「いや、勝手に出さないと言っても、多分みんな撮りますよ、一般の人たちは」って。「そんなんどうしようにもならん」って。BNFさんも「それはしょうがない」って理解してくれたけど、「冊子とかなんかに出るやつに関しては一応マルシー※注をお願いします。」とかね。
『マルシー』 マルシー=「©」=「コピーライト」、つまり「著作権」。著作権は、創作者及びその創作物を保護。第三者が許可なく創作物を使用できないようにし、その創作物がどのように使われるかを明確に決定することができる権利である。「©」を付けて掲載する事で、この創作物が版元に確認をとっているオフィシャルのものだと示し、また掲載元を守る意味合いがある。
『それはちゃんと守ってます』 山笠ナビが撮影したガンダム飾りの写真に一つ一つ「©創通・サンライズ」と入っているのはそういう理由なのである。
正木理事長
でもね、それもスターウォーズの時である程度慣れてたからね、別に「えー?」ってなこともなく「あー、まあそう言うだろうなあ」と思ってましたね。
正木理事長
えっとね、スターウォーズの時は間に広告会社が入ってくれてたんですよ。だから今回も「広告会社を入れろうかね」って考えたんだけど、今回は「商店街(振興組合)だけでやろう」って事になってチームができて、こっちのチームとBNFさん側のチームで、それでずーっとやり取りをやってました。
正木理事長
ずーっとやってましたね。例えば先方から取締役とかが来るから、商店街事務所でミーティングをしたり、実際に作ってる現場を見させてほしいと言うと勇君のとこの工房に行ったり。そういうのが何回かありましたね。
制作のミーティングは一番最初のやつだけに参加したかな。制作の話になると、パーツの色はどれを使ったらいいとか、すごく技術的な会議になってくるんで、それは別におらんでいいやろうとって事で、初回だけで。
正木理事長
僕としては、準備に結構時間を取ったんですよ。早め早めじゃないと間に合わんってのはわかってたので。実際、スタートしたら、BNFさん側からの要望、例えばガンダムとサザビーとなんたらをこうしてほしいと相談を受けたりすると、勇君の方で「それは山笠の構造上として難しいです。大きさがこれでこうじゃないと、多分上げ下げができません」とかいう、その辺のやり取りがね、結構時間がかかったんですよ。二か月ぐらいかかったかな。それが結構押したんですけど、準備に時間を取ってたから、僕としてはあまり最後バタバタするようなイメージはなかったですね。その辺りで時間が押して「これは時間がかかるな」って思ってたけど、最終的にいろいろ落ち着いて、制作の方にもどんどんどんどん入っていって・・・。
で、勇君の方に「どんな感じ?」って言ったら「いや、まあ、一応どうにか順調に進んでます」って聞いてて。そしたら、6月の20日ぐらいになって聞いたら「いやー、まだ・・・」って言って「ええええ!?」って(苦笑)。
正木理事長
そうそうそう! 多分ね、進捗状況を知ってたのは、多分私か商店街振興組合の理事か、あとはせいぜい長﨑総務。それぐらいですよ。それ以外の人は多分だーれも知らなかったと思う(笑)。
正木理事長
6月29日の飾り付けでね、「いや、まだこれができてない」とか話もしてて。「ええ?! いや、ちょっと、もうこれ、明後日公開よ!?」とか言って。
それで、7月1日もバタバタで、最後の最後の朝3時に来て飾り付けやったと言うから。えー・・・それはね、んー・・・もー・・・まあね、まあ最終的にできたからよかったから結果オーライでよかったけど、「大変やったね」って言って。
ただ、多分それは勇さんがやっぱ自分が納得いくものを作りたいという、そこの信念があったからあのクオリティができたんですよ。時間が無くなってきたら「まぁこんなもんでいいや、中途半端やけど。15日の追い山が終わったらどうせ壊すちゃけん」って思ってしまう人もいると思うんです。でも、勇君は「自分はそれが嫌だ」と。それがあるから、僕も安心して勇君に頼めるってものもあるんですよ。だからうちは今まで人形師を田中家から変えてないんですね。お父さんの田中比呂志さん、今は勇君とずーっとやってるので、土居流でうちの町が当番の時は田中家にお願いしてるんですよ。
正木理事長
そうそう。お父さんの時、困った事があっても結構助けてくれたというのがあるから。やっぱ田中家の恩情ってのは、そこはあるから、やっぱ、未だにそこだけは。
あと、田中比呂志さんもそうやし、勇君になってもそうやけど、人形に対しての考え方、これは別に山笠人形だけじゃなくて博多人形や小っちゃい物に関しての考え方が、僕はすごく好きだからね。だから、彼はこれからもっと伸びていくんだろうなっていうのと、「これから博多人形の若手を育てていくにはどうしたらいい?」っていうのをすごく熱心に考えている人やからね。だからこういう人は、絶対にずっと居らないといかんやろうなと思ってて。だからそういう面でも、山笠として育てていかなくちゃいけない、ってのはやっぱあると思うんですね。
正木理事長
あります。ただ作ってもらうだけじゃないんですよ。それをすることで、そこで名前が売れるじゃないですか。そしたら「ああ、この人が作ってる人形を今度買ってみたい」となるし。でも出来がダメだったら買わないんですよ。いいから買うんですね。

今回の賑わいを山笠に、地域活性につなげたい。
そして「祭の運営」の新しいモデルケースにしていきたい。

正木理事長
いや、ここまでとは思ってなかったですね。もうちょっと・・・最初はワーッと来ても、まあ、見る程度でまぁ終わるのかなぁって思ったんですよ。
ただ、ちょっと仕掛けを作ったのは「ガンダムぜんざい」ですね。川端ぜんざいの中にシールが入ってる。これが特別感がつくんですね。これを目当てに買いに来られる方が、商店街でお買い物したり、他の山笠に興味を持ってもらったり、という・・・なんかそういう要素が生まれるんちゃないかなと思ってて、そのへんの話も向こうと話をさせて頂いてたんですね。そしたらそこがうまくマッチングできたんでね。
さらにそういったSNSかなんかで今回はBNF側が「やる!」と。最初からテレビや新聞やら全部で約30社ぐらいを呼んでるんですよ。「BNF側はこれだけガンダム山笠を表に出したいんだ」ってわかりましたね。だから7月1日のニュースは、ご神入れのニュースじゃなくて、ほとんどガンダムの情報だったでしょ、あれ?(笑)。
正木理事長
あれはね、BNFさんの”勝ち”ですよ。
正木理事長
そのあと聞いたら、ららぽーと博多とキャナルのガンダムベースでのプラモデルの売れ行きもかなりの売れ行きだったと聞いてますもんね。
正木理事長
そうですね。ある程度その期待と思いと計画は実現できたと思いますね。当然上川端商店街もきちっと山笠そのものの恩恵も受けましたし、ぜんざい広場とかそのへんの賑わいもかなりあったんで、商店街側としては大成功だったですね。
実際、山笠が終わっても、ぜんざい広場に再設置したガンダムを見に来てくれる人がいますからね。今ちょうど吊りバナーを「ぜんざい広場はこちらです。ガンダム山笠はこちらです」っていうの付けてるんで、それを見て入って見てくれる方が結構多いような気がしますね。
正木理事長
そうね。スターウォーズの時もいろいろ経験とか得たものがあったけど、今年のガンダムではまたさらに違ったやり方したらこう出るんだというのがまた一つのプログラムとしては出来たんでね、そこはまだ次に生かしていきたいかなというのはやっぱありますね。
正木理事長
あー、ずっと考えてますね。どこか行くたんびに、何かあるたんびにいろんな声かけて、「こういうの、どお?」って声かけてますね。向こうからくるだけじゃなくて、逆にこちらからも営業していく感じで、話はしてますね。で、今は何が旬か?っていうのもずっとデーターを足していって。
正木理事長
そうそうそう(笑)。やっぱ、なんとなくアニメって喜んでもらえるけど、それがビジネスにつながるかどうかと言うと、そうとも限らないじゃないですか。ビジネスのためにやってるわけではないけど、やるならつなげたい。山笠は子供も大人も楽しめるものなんで、いかに子供だけじゃなくて大人まで楽しめる山笠にするか
それと、山笠そのものを見てほしいっていうのもがあるじゃないですか。単にキャラクターだけを見に来たんじゃなくて。
正木理事長
結局、僕が思ってるのは「きっかけ作り」なんですよ。山笠そのものに元々興味がない人って、まだいっぱいいるんですよね、市内だけでも。市内に住んでるけど見に行ったことがありませんっていう人、結構いっぱいいるんですよ。
正木理事長
そう! 初めて見に来ましたっていう人多かったです。
正木理事長
結局年齢層もそうでしたし、結構枠がガッ!と広がったなというのはあって。だから、僕は八番山笠だけじゃなくて、山笠全体として僕はよかったんじゃないかなと思いますよ。この八番山笠を見るだけじゃなくて、せっかく来るんだったらずーっといろんな飾り山笠を見て全部SNSに上げていこう!といかいう、そういう人がいっぱいましたね。Youtubeでもそういう動画をアップしている人がいましたし。
こうやって山笠を中心に色んなアイデアとかビジネスを考える人たちも、多分いろんな形で出きているんですよね。
正木理事長
もともとね、山笠って神事だから、宣伝色を出さないとか儲けに走ってはいけないってのがあるのも事実です。
ただ、そうやると運営できないでしょ?と。最終的に運営できなくなって、山笠としてなくなってしまいますよ?と。どっちをやられますか?なんですよ、最終的に。
博多はまだいいけど、周りの山笠とか全国の祭とかでもホントやれなくなってるところが多くいなってきていますよね。そういう所を見ていると、やっぱ何かビジネスにつなげていかないと、とてもじゃないけども運営ができない。やる人がどんどん高齢化してって若手が戻ってこないってのにもつながっていく。
正木理事長
そうそう。僕も振興会に入らせてもらって運営に関わらせていただいてるけど、やっぱ祭を運営していくために資金がどうしても必要。現在、市に補助金をいくらか出してもらってるけど、それも万全たるものではない。その補助金をもうちょっと大きくしてもらうためには、“博多祇園山笠”というブランドをもうちょっと全国にどんどん出していって、”いろんなコラボができますよ!”ってやっていけば、そしたら全体的な資金力が出てくると思ってます。
正木理事長
そうですね。山笠に限らずだけど、やっぱ今もインバウンドって多いじゃないですか。東南アジアもそうだし韓国とかからも、せっかくこれだけ来てるんだから、どうにかつなげられるようなものがあるとね。
今、福岡市や福岡市商工会議所も観光に対してもう一回トライしようとしてるんですよ。京都とか北海道とか東京とかは、”観光都市”として一つの形ができあがってるんだけど、福岡市ってのは観光都市じゃなく”商業都市”なんですよ。だから観光が下手クソなんですよ、なにとっても。そこをもう一回みんなで勉強しましょうという会を、今商工会議所やってるんですね。僕も観光委員会とかで入って、市と一緒にタッグを組んでやろうと。「観光都市福岡」としてね。それをする事で来られた方からお金が落ちるっていう仕組みを作っていければ、祭りとかそういった物に対しても補助が行きやすくなる。
正木理事長
例えば、ここでお店を出して収益出るとなったらここに住めますよね。だから山笠にも出れますよね、っていうところに落ち着いてくるわけです。
今福岡市に来ても、結局何の稼ぎも出らんし、例えば土地買っても税金だけ高いだけで意味ないやんっていうのが今の現状なんです。だから人が減っていく。
正木理事長
結局、山笠だけじゃなくて、一年間通してそこの土地を守っていく人は大事で必要なんですよ。そのためにはそこでお金を稼ぐ。そして利益を出さないと、そういう事が出来ない。それがまだ大きな課題としてありますね。
だから、例えばそこの冷泉小の跡地なんかを、もうちょっと観光施設としてね作っていければ、そこがあるおかげでそこにぐーっと人が集まってお金を落としていくようになると、その周りの地域が結構ある程度食っていけるようになる、と。別に商店街だけじゃないんですよ。
正木理事長
なるでしょうね。いろんな部分で、だって今地下鉄でも、結局中洲川端駅と今度できた櫛田神社前駅と、そことの往来がえらく増えたんですよ。往来が増えたってことはどうかといったら、当然乗り継ぎが簡単になっただけでなく、福岡市西南部の向こうからくる人とかが増えるんですよ。今までそういう人たちはバスでくるか、それか地下鉄でどっかで乗り継いでくるか、あとは車で来るしかなかったけど、地下鉄一本で博多に来れる。色々聞くと西南部の方から初めて櫛田神社に来ましたっていう人結構多いんですね。地下鉄ですぐにこれるから「ちょっと来てみました」「ちょっとご飯食べに来ました」とか。という人が結構増えたんですね。
正木理事長
そうそう。それもちゃんと見込んでたら、地下鉄のサイズもね、同じ一緒にしとけば・・・※注(笑)。
『地下鉄のサイズもね、同じ一緒にしとけば』 七隈線はそれまでの路線よりトンネルも車両も小さいミニ地下鉄が採用されている。これはトンネルを掘る環境への影響や工事費用など削減するためだが、サイズが変わるため既存の路線に乗り入れが出来ないのがデメリット。時折、地元劇団の『ギンギラ太陽’s』からこの件を劇中でイジられている。
正木理事長
そしたらねぇ、お互い乗り入れできたんじゃないかとか。それはそれでもうしょうがないんだけど(笑)。
正木理事長
そうよねぇ。そこは何とかやっぱしていかないといけないかな、ってもあるし、まだ大きい課題だし、大きな楽しみではありますね。

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