(取材協力:山笠ナビ公式サポートスタッフ M_Film)
最後の流舁きを終えた博多の町。日が沈みゆくにつれ、町の空気は追い山の空気へと変わっていきます。
14日午後9時になると、飾り山の山解きが各所で始まります。ここ上川端商店街のぜんざい広場に一年間展示してあった昨年の八番山の飾り山が、解かれ始めました。
昨年は”走る飾り山”が”走らなかった”飾り山の奉納でした。ぜひ来年こそは走って欲しいという願いが今年結実します。
午後11時を過ぎると、若手が役員らに集合を知らせ回る「もーろーろー」が、あちらこちらで開始します。
櫛田神社では外壁に付けられていた協賛雪洞(ぼんぼり)が次々と取り外されていきます。
そして、一番山笠が櫛田入りを行うまで5時間を切った7月15日午前0時を迎えると、飾り山の山解きが一気に本格化。飾り山は追い山行事が始まる前にすべて解くのが習わし(※櫛田神社の飾り山は例外。上川端通は追い山で走り抜けた後に解かれます)。福岡市内に立てられていた飾り山が次々と姿を消していきます。
そして、令和四年度の追い山櫛田入りを行うまで5時間を切った七流。舁き手が山小屋に続々集合、えも言えぬ緊張感が高まっていきます。
7月15日の午前3時から櫛田神社において最も大事な行事に位置付けられている祇園例大祭が行われる予定で、一般の参拝客と山笠参加者が櫛田神社に参拝にやってきます。
神職は役職に応じた色の違う平安以降の貴族や官人の勤務服である衣冠を身に着けて、祭祀に臨みます。
櫛田神社雅楽部が奏演する「越天楽」が鳴り響く中、祇園例大祭が始まりました。
祇園例大祭が終わる事には、櫛田神社一帯は3年ぶりに行われる追い山行事を一目見ようとたくさんの見物客が集まっており、桟敷席もほぼ満席となっていました。
櫛田神社前の土居通りには、七流の舁き山が山列入りを完了しており、舁き出しの時を静かに待っています。
櫛田神社の清道には男達が集まり、舁き出しの時を待っています。しかし午前4時前から空からぽつりぽつりと雨が落ちはじめ、強弱を付けながら博多の町をしっとり濡らしていきます。
清道旗を真正面に見据えた能舞台に、阿部宮司や来賓が着席。いよいよ追い山の舁き出し時間が近づいてきました・・・舁き出し前に子供たちの先走りが清道内に入り、口上を述べてオイサオイサと元気よく博多の町に飛び出していきます。
カウントダウンのアナウンスが告げられるたび、静かになっていく桟敷席。緊張感が高まる男達。
午前4時59分、棒鼻が3回叩かれた一番山笠恵比須流の舁き山は、舁き手が鬨の声を上げながらオイサの声勇ましく、清道内に舁き入れます。
清道旗をきれいに曲がり切ると能舞台を見据えて山が据えられ、一番山だけに許される誉である祝い目出度を瀬戸総務が朗々と歌うと、男達は手を入れながら唱和し、桟敷席の人達も心中でともに唱和します。
歌い終わった恵比須流、再び一気に加速して清道の外に飛び出ていき、ついに、そしてようやく念願の一番山笠の誉と責を見事果たしました。
恵比須流が櫛田入りを行うと、後に続く流は5分おきに櫛田入りを奉納し、博多の町へ飛び出していきます。
七流が櫛田入りを行った後は、”走る飾り山”上川端通が櫛田入りを行います。オイサオイサの声とともに巨大な姿を楼門の上からのぞかせると、思わず感嘆の声が上がります。今年はコロナの影響で舁き手の人数が全然足りないと頭を痛めていた上川端通でしたが少ない人数で舁ききり、鵺(ぬえ)の蛇の口から煙(バフ)が吹き上がりながら、見事櫛田入りを奉納する事が出来ました。
七つの舁き山は、東長寺・承天寺の清道旗を廻り、朝焼けの中、狭い道幅の旧東町筋を進んでいきます。
旧東町筋を出た舁き山は、博多の大動脈道路である大博通りを南下し、再び道幅が狭い旧西町筋に入り北上していきます。
舁き山が目指すは、須崎にあるゴール地点である「廻り止め」。廻り止めの象徴的風景だった石村萬盛堂本店は、この2年間のうちに白い壁から木目調の店舗にリニューアルしました。今年ついに新しいタイム計測所が使用され、新しい計測所から役員が招き旗を振って舁き山を鼓舞して呼びこみます。
舁き山が廻り止めの横断幕を通過するたびに、全コースのタイムがすぐに掲示され、参加者と観客は拍手で自分たちの手で出した記録を喜び、そして3年ぶりに追い山を行えた喜びを分かち合います。
一番最後の千代流が廻り止めを通過すると、掲示されたタイムは今年の七流最速の31分23秒。千代流の男達は、ウオォォ!と声を上げて喜びあいました。
無事奉納を終えた舁き山は再び男達の手によって山小屋まで運ばれます。
取締代表が挨拶を行い、全員で手一本。万雷の拍手の中、取締代表が来年の当番町に「来年は頼むな!」と声を掛けていきます。
その光景を見つめる瀬戸総務。コロナ禍により2年も追山笠がなくなり、その間ずっと一番山笠の総務として、恵比須流を引っ張ってきました。声を詰まらせながら「櫛田入りもきれいに回って奉納することができた。みんなが助けてくれて頑張ってくれたおかげです。みんなにありがとうと言いたい」とコメントしました。
祭が終わるとすぐに片づけを始めるさっぱりとした性格なのが博多っ子。祭が終わったばかりなので、手際よく片付けが行われ、生中継の放送機材だけでなく、清道旗や山小屋さえも片付けられていきます。
3年ぶりの追い山は終わり、令和四年度の博多祇園山笠は七流が全て無事奉納を行い閉幕しました。
しかし、男達の目は来年の山笠を見据えて動き出しました。各担当部署ごとに集まって挨拶を行ったり、来年当番町となる町に山笠台を運んだり、来年当番町になる町は各町に来年の山笠をよろしくという表敬を行います。
新型肺炎もここにきて増加の一途をたどっており「第7波到来」と言われており、まだまだ先行きが見えぬコロナ禍に包まれた令和の時代。コロナ禍の中、ギリギリのラインで博多祇園山笠は判断を迫られてきました。そしてこれからも迫られると思われます。批判もあるかと思われますが、2年も停滞した博多の町に一筋の光明を示したのが今年の斎行だったのかもしれません。
次は今よりもっと良い山笠を奉納し疫病退散を祈願する。男達の願いはすでに今日から来年に向けて始まっています。
・恵比須流 34秒08
・土居流 36秒59
・大黒流 35秒42
・東流 32秒28
・中洲流 36秒70
・西流 32秒60
・千代流 32秒24
・上川端通 52秒55
・恵比須流 38分55秒
・土居流 36分38秒
・大黒流 33分53秒
・東流 34分01秒
・中洲流 35分58秒
・西流 34分44秒
・千代流 31分23秒