櫛田神社の飾り山笠は、福岡市博多区上川端町の博多総鎮守櫛田神社に立てられる飾り山笠。本殿横に山小屋が建てられており、山小屋の中に収められている。
他の飾り山笠と異なって山笠期間が終わっても解かれることがなく、一年中展示されている特別な飾り山笠で、博多のランドマークとしても扱われている。その特別な飾り山笠化であるため、山笠番付は末番の「番付」で付けられる。
常時展示という事もあり、夜間でも見物可能。その際は山小屋脇にあるコインボックスに硬貨を入れると電飾が点灯しライトアップ、祝いめでたの曲と共に山笠の紹介アナウンスが放送される。また、秋の博多燈明ウォッチング、博多ライトアップウォークなどのイベント時にはライトアップされる。
第二次世界大戦末期、博多の町は1945年(昭和20年)6月19日の福岡大空襲で焦土と化した。人々は生きるのに精一杯で、山笠行事を行うどころではなかった。約二か月後の8月15日に終戦を迎える。
1946年(昭和21年)5月、復興住宅組合が「第一次博多復興祭」を開催。焼け残った材料をかき集め、子供山笠を復活させた。久々に町に活気が戻り、この山笠の復活は博多っ子を奮い立たせる大きな役割を果たす。
翌1948年(昭和23年)には櫛田入りだけだったが追い山笠笠行事も復活。博多五町商店街には、大黒流内に本格的な「飾り山笠」を建設。連日、見物客が詰めかけるほどの盛況だったという。
この1948年の舁き山笠復活に手ごたえを感じた山笠関係者は、1949年(昭和24年)新しい組織作りを行い「伝統を誇る博多祇園山笠の振興を期し郷土の発展と文化の向上」を目的に、「博多祇園山笠振興期成会」 を結成。復興のシンボルとして、櫛田神社境内へ飾り山笠を建設し、山笠復興を促進する事を決定。7月11日より、櫛田神社の境内に据えられた。表題は表が「五條橋」見送りは「桃太郎鬼ヶ島征伐」。飾りは博多人形師の小島興一師、置鮎興市師、高尾八十二師が手掛けた。
しかし、1953年(昭和23年)まで4年間ほど立てられていたが、1954年以降作ったり作らなかったりするようになる。
今のように常設飾り山笠が登場するようになったのは、1964年(昭和39年)。
西日本新聞社を経て広告代理店に勤務していた”博多のアイデアマン”こと田中諭吉氏が、櫛田神社の知名度向上と観光客誘致を訴え、「櫛田神社・常設飾り山笠」を提案した。「飾り山笠は7月15日には解くもの。一年も飾りを棚ざらしにできない」と伝統を重んずる神社や関係者達からは何度も断られたが、「永代奉納番外飾り山笠」と自筆の絵を添えた企画書を示したが、田中氏の熱意に折れて奉納が決まったという。
初めて奉納を行ったのは日立製作所。関係者には『飾り山は表、見送りとも伝統の素材を使い、山笠の格調は傷つけない。人形は独自の衣装を使い棚ざらしにしない』などの条件を約束し、また山小屋も当初は台風にも耐えられるように軽量鉄骨製。博多祇園山笠振興会でも『新しい博多の観光材料にはもってこい』と了承し、櫛田神社の常設飾り山笠が実現した。
標題の表は『曽我草錣曳(そがのくさすりびき)』、見送りは『海彦山彦』とし、飾りは人形師の小島与一師が手掛けた。山小屋は櫛田会館前の空き地に建てられた。(現在は拝殿横に建てられている)
1966年(昭和41年)は不況のあおりを受けて奉納スポンサーが見つからず、櫛田神社の飾り山笠奉納が危ぶまれたが、福岡市岡市出身の許斐氏利氏(東京温泉社長)が手を上げ関係者をほっとさせた。現在はKBC九州朝日放送が奉納を行っている。
櫛田神社の飾り山笠は、毎年6月30日に御神入れの神事を行っている。
6月30日は全国の神社で大祓(おおはらえ)の神事が行われ、櫛田神社でもこの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓い次の半年を無病息災に過ごせるよう午後4時より水無月大祓祭が行われる。この神事には博多祇園山笠の振興会役員、各流の総務らが参加、一般の参拝客も参列する事ができる。
水無月大祓祭が終ると、山笠関係者は飾り山笠前に移動し、午後5時より御神入れの神事を行う。博多山笠振興会役員の他、各流、各飾り山笠の総務が一堂に介すので、全ての当番法被を目にする事が出来る貴重な行事でもある。また、櫛田神社の宮司・神職も一堂に介するという貴重な神事で、全員白い狩衣を着用して神事を齋行する。
御神入れが終ると一般公開となるのが普通だが、この日はまだ6月30日であるため飾り山笠には一旦網幕が掛けられ、翌日7月1日から一般公開される。
このように櫛田神社の飾り山笠は他の飾り山より一日早く御神入れを行うという事から、飾り付け等の作業は他の飾り山笠より少々早く行われる。
6月1週目後半頃、飾りを山笠から外す『山解き』が行われる。山解きには飾りを担当した人形師と山大工が行い、飾りをすべて解いてしまうと、矢切(飾り山笠の骨組み)状態となる。さらにその状態から、山笠台から舁き棒を取り外しすべての縄を台から外しメンテナンスを入れ、山笠台の汚れ落としや縄の交換などを行う。
メンテナンスを入れている間は飾りが付いていない素山状態での展示となる。考えたら、飾りがないのはこの僅か2~3週間程度と貴重なタイミングではあるのだが、とはいえ、飾り山笠を楽しみに見に来た人が飾りのない飾り山笠を見てがっかり&苦笑いする様子をよく見かける。その場合は上川端商店街の川端ぜんざい広場を見に行くことをお勧めする。
6月2週目の後半頃、山小屋にて一年間の展示に向けて棒締めを行い、6月23日前後に飾り付け作業が行われる。飾り付けの日は、飾りが次々と上がっている様子を観光客が写真に収める光景がよく見られる。
1997年(平成9年)8月21日深夜から翌未明にかけて櫛田神社の飾り山笠から人形が盗難、破壊され、一騒動となった。 この年の標題は表が「智略大阪夏之陣」、見送りが「天孫降臨皇国曙」だったが、見送りの標題に飾られていた 「大国主命」が盗難され、表の一部も壊されるなどしており、被害額は約150万円に上った。
博多署の捜査で犯人は23日に逮捕。「神社の近くで育った。人形が好きで手元においていたかった」という動機だったが、騒動が報道されことから怖くなってしまい、人形は燃やしてしまったという。
神社では製作者である博多人形師の中野親一師に協力を要請。中野師は下絵や写真を参考に約10日間かけて作り直し、元の位置に取り付け直した。
2020年(令和2年)新型コロナウイルスの世界的感染拡大を受け、博多祇園山笠は山笠行事をすべて延期するという苦渋の判断を下した。しかし祭りの中心地である櫛田神社だけでも山笠の伝統をつなごうと、神社関係者、山笠関係者が協議を重ね、櫛田神社の飾り山笠のみ新しく作り直し奉納した。
飾りの制作は、博多人形師の中村信喬師と、長男の弘峰師が今年から担当。標題は表が「清正公虎退治誉(せいしょうこうとらたいじのほまれ)」、見送りは「桃太郎鬼退治誉」で、共に『退治』物の標題にコロナ退治の願いを込めた。
飾り付けを行う際もマスクを着用し、御神入れも参加者の人数を極力少なくし、前後の椅子の距離も保った状態で行った。
この年は祭りの期間中、清道旗と飾り山笠は一晩中ライトアップされた。
福岡市営地下鉄「櫛田神社前」より徒歩3分、「祇園」より徒歩7分
西鉄バス停「祇園駅」より徒歩7分
櫛田神社のシンボルである「櫛田の銀杏」からイチョウの葉と勾玉が配置された意匠を使用している。櫛田神社関係者の他、来賓者、公式カメラマンなども着用する。