1195年に禅宗の開祖・栄西が開いた我が国に現存する最古の禅寺。禅寺の伽藍配置をよく保存しており、境内は国の史跡になっています。
山号は安国山(通称で安山)。寺号は聖福至仁禅寺。
博多の町の真中にあるとは思えない静寂に包まれた広い境内で、豊かな自然、歴史的建造物の静かな佇まいを体験し、ゆったりとした時間をすごすことが出来ます。
山門には、創建直後に後鳥羽上皇が下賜されたと伝わる「抹桑最初禅窟(ふようさいしょぜんくつ)」の勅額が掲げられています。扶桑とは日本のことで、聖福寺が日本最初の禅寺だということを伝えています。
日明貿易(勘合貿易)では、聖福寺造営の遣明船が派遺されるなど対外交渉にも関わっていました。
現在、聖福寺の境内には山門、無染池、仏殿の大雄寳殿、鐘楼、堪忍地蔵、本堂、総門や勅使門と繋がる博多べいなどがあり、鐘は高麗時代に作られたやや大ぶりの朝鮮鐘で、国の重要文化財に指定されています。
そのほか一般には公開されていませんが、六祖大鑑禅師像、高麗鐘、花崗班岩製蒙古碇石などの重要文化財をはじめとする多くの寺宝を所蔵しており、聖福寺の歴史の深さを知らしめています。
(本堂は修行の場であるため一般の立ち入りは禁じられています。)
禅宗の開祖・栄西が日本に茶の種子を持ち帰り、その種子を蒔いたのが聖福寺の境内。これが抹茶の元祖と言われています。
ほかにも仙崖和尚が住職をしていた寺としても有名。
豊臣秀吉が九州を平定する頃、博多の町は毛利・大友・島津などの諸勢力による相次ぐ合戦で荒廃していた。「博多塀」とは、その焼け跡に残った石や瓦を埋め込んで作った土塀のこと。
御供所通り側は上塗りにより見えませんが、境内側は禅宗様式の形態をとどめ、周囲の歴史的建造物や樹木の豊かな緑と一体となって、歴史を感じさせる美しい景観を形成しています。現在ではここ聖福寺を含め、わずかしか残っておらず、希少価値の高いものとして大切に保存されています。