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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

棒洗い(ぼうあらい)

山笠の舁き棒を洗い清める神事。
飾り山笠は6月初旬から中旬に、舁き山笠は6月初旬から下旬にかけて執り行われ、神事は博多ふ頭の櫛田神社浜宮で行われる。

棒洗いで洗い清められた舁き棒はそれぞれの流に持ち帰り、吉日を選んで舁き棒を山笠台に取り付ける「棒締め」が行われる。

中洲流の記念誌「中州流50年の軌跡」によると、1964年(昭和39)年に「戦後はじめて古式にのっとり、中州流が博多ふ頭で棒洗い神事を行う。のちに浜宮再建。」と記載されている。

当時の新聞を読むと、1964年(昭和39年)、山笠が国の「記録を保存する必要のある民俗資料」に指定され、山笠の資料を文部省に提出しないといけないため、しきたりや習わしを調査・記録する必要が出てきた。
棒洗いは大正時代までは正式な山笠行事として博多浜にある櫛田宮の博多浜神域で行なわれていたが、港の埋め立てでできなくなり、昭和に入ると各流は町内の水道で洗う”略式”で続けてきた。しかし、上記の理由から棒洗いのしきたりを復活させることになり、この年最初に棒洗いを行った中洲流が、博多ふ頭の突端に神城をつくって古式どおり棒洗いを行ったもの。この時の写真を見ると、まだお宮がなく、注連縄を張った更地に平ばんこ(縁台)を2台置いて、右肩・左肩の棒をそれぞれ一本ずつ洗ってるような様子がうかがい知れる。(土砂降りの中の神事だったようで、更地ゆえに足元が緩いので長靴を履いて棒を洗っている人が多いのが興味深いところ)

だが1964年以降は一旦大半の流・飾り山笠が略式に戻ったようで、1966年の新聞によると「南流など2~3の流れだけが古式にのっとった棒洗いを続けており」と書いてある。

現在は全ての流・飾り山笠が棒洗いの神事を博多湾の浜宮で、古来からのしきたりに合わせて棒洗いが行われている。

棒洗いの流れ

棒洗いは櫛田神社の神職を招き、以下の流れで神事が執り行われる。(※神事の各名称は神職によって異なる場合がある)

  • 修祓しゅばつ:神事参加者と舁き棒、棒を洗う道具、汲み上げた海水を祓い清める
  • 清め祓いの儀:汲み上げた海水を舁き棒に注いで洗い清めて山笠の無事奉納を祈願する
  • 玉串奉奠ほうてん:祈願を託した玉串を神前に謹んで供える

海水は浜宮の裏手にある博多湾から海水を汲み上げる。近年は水質があまり良くないため、汲み上げる際は汚濁した泡などを避けつつ汲み上げる事が多い。
汲み上げる際は、紐を取り付けたプラスチック製のバケツや、布バケツを海面に下ろし、バケツに入った海水を紐で引っ張り上げて汲み上げている。満潮・干潮で海面の高さが大きく変わるので、同じ日でも時間によって海水を汲み上げる労力が変化する。たまにうっかりバケツに付けた紐を手から放してしまい、バケツを博多湾に放流してしまって唖然とする参加者の姿を見かけることもある。

浜宮の境内に舁き棒を並べる際は、祭壇に舁き棒の表を向けたうえで、一番棒から順番に並べるのが習わし。ただし、八番山笠上川端通の舁き棒は他の流よりも長いため、祭壇と並行にして並べられる。

修祓でお祓いを受けた後、清め祓いの儀で舁き棒を洗う作業を行う。まずは汲み上げた海水を舁き棒に注ぎ、舁き棒を手にしたたわし等の道具で、一年間の汚れや埃などを洗い落す。洗い終わったら、仕上げに真水を掛けて汚れや海水をきれいに濯ぎ上げる。

以上、神事は上記の流れで行われるのだが、海水を汲み上げるタイミング、海水を汲み上げる時の習わし、棒を洗う道具の違い、棒の洗い方、棒洗いに参加する町の数などなど、流によって様々な習わしが存在する。

例えば、東流は海水を汲み上げる前に御神酒を海水に注ぎ、海水を汲み上げている。

西流、千代流などは、舁き棒を洗い終わったら棒鼻の鼻冠に御神酒を掛けて無事奉納を祈願する。

海水を掛ける際はまずは棒鼻から掛けるたり、洗う道具も荒縄を束ねたたわしもあれば亀の子タワシ、クレンザーなどとにかく様々。上げていくときりがない。

このように、流や町によって習わしがまちまちであったりするため、翌年の当番町となる受取町が勉強のために見学に来ていたりすることも多い。また、山笠ナビのニュースを読んで初めて他の流の習わしを知ったという人も多い。