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山笠の馬の人形?が奉納されている『宇賀神社』

福岡市中央区大宮に「宇賀(うか)神社」という神社があるのをご存じでしょうか。

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高宮通り沿いの平尾北交差点付近にある鳥居をくぐると・・・

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西鉄大牟田線の高架下を通り、再び鳥居が。このような参道は珍しいですね。

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住宅に挟まれた細い参道を進むと、石造りの鳥居と三度目の朱色の鳥居。合計4つの鳥居をくぐります。4つ目の朱色の鳥居をくぐると、二匹の狐がお出迎え、奥には本殿があります。稲荷神系の神社のようです。

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その本殿の中を覗くと、なにやら・・・

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そう、とてもリアルな馬の人形が天井に飾られているのです。
この宇賀神社は馬の飾りが飾られた「馬の神社」としてちょっとした有名な神社なのです。

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この神社が話題になったのは、2005年に発生した福岡県西方沖地震の時。最大震度6弱の地震の衝撃と被害は今も尚福岡の方の記憶に刻まれていると思いますが、宇賀神社も例に及ばず鳥居が倒れたそうです。しかし、この馬の人形だけは落ちなかったとの事。ここから「落ちない」「うまくいく」ということで、入試を控えた受験生に人気の神社になったとの事です。

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この馬の人形はどこから来たのか、いつから飾られたのかは不明ですが、素材や製法などを見ると博多祇園山笠の飾山の人形が奉納されたのではないか?という説が強いそうです。

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それにしても、かなりリアルな出来映え。壊れかけた胴体部分からは竹と木で作られた骨組みを覗くことが出来ます。この竹に飾山に取り付けられた跳木のヘソを差して、飾り付けしたのかもしれません。

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何より、この人形で目を引くのは、布を貼って仕上げているところ。この布が皮膚の質感を出しており、今の山笠人形と大きく異なります。

人形に使われている下張りに使われているの新聞を調べてみると、昭和4年(1929年)の福岡日日新聞が使われており、その翌年の昭和5年が「午年」だからこの年なのかも?という説も。昭和初期の飾りは、福岡大空襲でほとんど燃えて消失しているため、もし博多祗園山笠の飾りであれば貴重な資料となります。

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裏手の方には「黒田稲荷」ののぼりが。
本殿の中にも黒田家の御紋が入った提灯が下がっていました。

元々は田んぼの中にあった小さなほこらだったと思われるこの神社。
福岡藩6代藩主の黒田継高公の時代に襲った「享保の大飢饉」からの藩政立直しが一段落ついた頃の宝暦10年(1760年)に、藩主継高公が「風雨順時」「五穀豊穣」を祈る気持ちから、自分の産神である江戸の橋本稲荷にあやかって、新たに神殿、拝殿を造営した、との記録があるそうです。(本殿内には田んぼの真ん中にあった頃の写真が掲示されています。(出展:「Y氏は暇人」サイト)

「落ちない」と言われているこの馬人形も、骨組が虫に食われて老朽化と腐食化が進んでいるとの事。この先もずっと落ちない馬の人形として残ってもらうためには、何かしらの保存をする事が出来ないかという声も上がってるようです。

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毎年、初午祭が2月上旬~中旬に行われ、毎月1日と15日には野菜が奉納されるとのこと。また、近年この神社には初詣にはたくさんの人の訪れるそうです。

この貴重な馬の人形を見に、一度参拝してみてはいかがでしょうか?