" /> 2014年 櫛田神社 – 流の紹介・山小屋マップ

流の紹介・山小屋マップ NAGARE INFO & YAMAGOYA MAP

2014年 櫛田神社

飾り山(表)

標題

男毛剃乃心意気

(おとこけぞりのこころいき)

京の商人・小松屋宗七は、下関から博多に向かう毛剃九右衛門の船に乗り合わせ、彼等の話題に加わります。
まずは、毛剃が各地での喧嘩話を愉快に物語ります。続いて、宗七が博多柳町の小女郎という遊女と深い仲になり、夫婦の約束を交えた話をします。ところが、毛剃が以前より博多で小女郎を贔屓にしていたため、にわかに機嫌が悪くなり、宗七の話を止めさせます。気まずくなった宗七は、席を立ち船室へ戻ろうとしますが、途中毛剃一味が密貿易(高麗人参・虎の毛皮などを取り引き)を行っているところに遭遇してしまいます。このときはじめて、毛剃達が海賊だと知った宗七は、彼等に海に放り投げられてしまいますが、漂う小舟にしがみつき命拾いをします。
難を逃れた宗七は、小女郎に一目会いたいと博多の見世を訪ね、再会を果たします。そこで小女郎は、宗七からことの経緯を聞かされ驚き、更に、身請けの約束が叶わない事を知らされ嘆きます。そこへ偶然にも毛剃とその一味がやってきます。そこで、小女郎は恥を忍び、毛剃に身請けの金を貸してもらい宗七と夫婦になると決心します。小女郎の頼みに、毛剃は男気を出しこれを承諾します。喜んだ小女郎は、その礼を伝えるために宗七を毛剃のところに連れて行きます。思いがけない再会を果たした両者は驚き、焦った宗七はすぐさま毛剃の悪事をばらそうとします。一方、毛剃は、いきりたつ手下達を退け、宗七に小女郎の想いを無にしないよう説得し、自分達の仲間に入るように勧めます。宗七は悩んだ末、自分と夫婦となりたいと強く願う小女郎の気持ちを想い、毛剃の仲間となる事を承知します。
この飾り山笠は、毛剃が小女郎の事を想い、対立する宗七を説き伏せ、仲間に加える場面です。

[人形師:亀田均]

飾り山(見送り)

標題

倭建東征走水譚

(やまとたけるのとうせいはしりみずのたん)

景行天皇の御子である倭建命(やまとたけるのみこと)は、天皇より「東西の国の荒ぶる神々、また従わない者たちを平定せよ」と命じられました。
天皇の命令を受けた倭建命は伊勢の神宮に参拝し、その地にいた伯母の倭比売命(やまとひめのみこと)から草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を授かり、また「困った事があれば、この袋を開けなさい」と一つの袋を授かりました。
倭建命は相武国(神奈川県)に着いたとき、この国の国造(豪族)から「この野の中に大沼があり、沼の中に住む神はとても強い力がある神です」と聞き、その神を見ようと野の中に入っていきました。
ところが、その国造は野に火を付けたのです。欺かれたと知った倭建命は、倭比売命から授かった袋を開けました。袋の中には火打石が入っていました。そこで先ず草那芸剣で草を刈り払い、火打石で向火をつけて焼き退け、無事に脱出し、この国を平定する事ができました。今にこの地を焼津(やいづ)と言います。
さらに東に進み、走水海(浦賀水道・東京湾の入り口)を渡ろうとしたとき、その海の神が波を起こし、船をぐるぐると回したため、渡ることができませんでした。そこで倭建命の后の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が「私が皇子の身代わりとなって海中に身を沈めましょう」と言い、幾重にも重なった菅・毛皮・絹の敷物を波の上に敷いてそこに降りました。すると、荒波は自然と収まり、船を進める事ができたのです。そして七日後、弟橘比売命の櫛が海辺で見つかりました。その櫛を取り、御陵(墓)を造って納め葬りました。
倭建命は荒ぶる神、従わない者たちをことごとく平定して、大和国(奈良県)に帰る途中に自分のために身を犠牲にした妻を思い「ああ、わが妻よ」と嘆きました。
この飾り山笠は倭建命の東征の一場面を表しております。

[人形師:今井洋之]

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