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寿永三年(一一八四年)宇治川の戦いで敗れ、都を追われた木曽の義仲は、己の運命の行く先を覚り、今井四郎兼平と共に最後の合戦に臨んだ。義仲の軍隊三百余騎は甲斐の一条次郎の軍隊六千余騎の中に突進し、四方八方に敵陣を破って突撃したが、やはりに多勢に無勢、最後に義仲軍は主従五騎のみとなった。その中に一人の女武者が生き残っていた。それが巴御前である。巴は色は白く髪は長くて、顔も美しく、弓矢や太刀を手にすると、どんな鬼神を相手にしても負けぬという、一人で千人に当たる武人であった。
討死を覚悟していた義仲は巴を呼び出し「木曽の義仲が最後の戦いに女を連れていたなどと人に言われたらよろしくない。早々に逃げなさい」と言ったが巴は離れようとはしない。しかし義仲に強く言われた巴は「ああ、りっぱな敵にあいたいものだ。義仲殿に最後の戦をしてお見にかけよう」と思い、馬をひかえて敵を待った。そこに武蔵の国で有名な御田八郎師重が三十騎ほどで現れた。巴はこれを見るや、その中に駆け入り、御田八郎の馬にわが馬を押し並べ、相手をつかんで馬の蔵の前輪に押しつけ、少しも身動きさせず、その首をねじ切って捨ててしまった。その後、巴は鎧と甲を脱ぎ捨て、東国の方に向かって離れ去っていった。
この飾り山笠は、巴御前が義仲の側近として合戦に加わり女武者として活躍した一場面である。
[人形師:田中 比呂志]
高天原(天上)を治める天照大御神は、孫であり、たわわに実る稲穂を意味する邇邇芸命に葦原中国(地上)を統治させることにした。命を受けた邇邇芸命が、地上に降りようとすると、天と地の堺にまばゆい光を放つ神が現れた。
そこで天照大御神と高御産巣日神は、踊りの名手であり、負けん気の強さをもつ天之受賣命にその神の元に行って事情を尋ねるよう命じた。その問いに、輝く神は、「猿田毘古神」と名乗り、「高天原の御子が天下ってこられると聞きご案内させていただこうと、お出迎えしていたのであります」と申し出た。猿田毘古神は、天之受賣命とたちまちに心がかよい合い、天照大御神と高御産巣日神より邇邇芸命のお導きを命じられた。
猿田毘古神の先導のもと邇邇芸命は、天照大御神から与えられた三種神器(八尺勾璁、八咫鏡、草薙芸釼)を携え、中臣氏の祖先神・天児屋命など大勢の神々を従え、ようやく天下る準備を整えた。高天原の御座所から立ち上がった神々は、たなびく八重雲を押し分け、力強く道を踏み分けて天の浮橋にすっくと立ち、そこから一息に筑紫の日向の高千穂の峯に降り立ったのである。
本年は、太安万侶が「古事記」を献上して一三〇〇年目の年にあたり、「古事記神代の巻」の有名な「天孫降臨」の場面を題材とした。
[人形師:田中 勇]