山留から舁き出した舁き山笠が櫛田神社の境内に作られた清道に駆け込み、清道の中央部に立てられた清道旗を周回する奉納行事の一つ。山留からスタートし、清道旗を周回して境内から出るまでの一連の行事を指す。
「清道廻り(せいどうまわり)」とも呼ばれる。
距離は約112メートル。
追い山笠のスタートでもあり、男たちが華麗に一秒でも早く櫛田入りの奉納を行おうと気迫に満ちた山舁きが行われるため、大変注目が注がれる。テレビやラジオの生中継が行われ、博多祇園山笠というとまずこの櫛田入りの光景を脳裏に浮かべたり、紹介されることが多い。
追い山笠では、最初にスタートする一番山笠は午前4時59分に大太鼓の合図でスタート。清道を回り、能舞台に表を向けて一旦舁き山笠を据えて「祝いめでた」(博多祝い歌)を舁き手、観客と一体となって全員で大合唱する。
この祝いめでたは一番山笠にのみ許された誉で、唄うのは一番のみ。祝い目出度を唄うタイム(約30秒)は除外される。一番山笠の舁き出しが4時59分となっているのは、この祝いめでたの唱和時間1分を考慮しているためとされている。
1979年頃までは、清道旗を周回すると、能舞台に表を向けず、進行方向のまま舁き山笠を据えて、山揺らしを行いながら祝いめでたを唄う流もあったが、現在は能舞台に表を向けて据え、山笠は揺らさないという事になっている。
櫛田入りに掛かる所用タイムは太鼓櫓に控えている時計係が昔ながらのねじ巻式時計で手動計測。舁き出しを告げる太鼓が鳴った瞬間から、境内を出る際の棒鼻が太鼓櫓を出る瞬間までが計測される。櫛田入り所要時間はすぐに場内にアナウンス発表され、そのタイム発表に桟敷席の観客が沸く。一方、タイムを出した舁き山笠は立ち止まることなく博多の街へ飛び出していく。
1948年(昭和23年)戦時で中止となっていた博多祇園山笠が復活。
各流有志の献身的な努力の甲斐あり、舁き山笠7本が博多の街に建ち、祭りの行事も昔通りに復活。7月1日には注連下ろし、当番町お汐井取りが行われた。
この年の追い山笠、追い山笠馴らしは、櫛田入りのみの斎行。
7月15日は、戦前と同じように午前4時59分に一番山笠が太鼓の音共に舁き出し。一番山笠の大黒流は、古来通り「博多祝い唄」を見物客と一緒に唱和した。続けて二番山笠・浜流(大浜二丁目)、恵比須流、浜流(小金町)、エビス市場 (大津町)の計5本が櫛田入りを奉納した。
さらに子供山笠の西浜町、奥小路も続いた。4年ぶりとあって櫛田入り所用時間は計られなかった。物資が乏しく法被も十分ではなかったが、4年ぶりに復活した山笠に人々は熱狂したという。