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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

勢い水(きおいみず)

山舁きが行われている際に、山笠や舁き手にかけられる水のこと。
「勢い水」と書いて「きおいみず」と呼ぶ。
昔の新聞では「力水」など様々な言葉で書かれていた時期があったが、古来から「きおいみず」で統一されており、「いきおいみず」「きよいみず」とは呼ばない。(インターネットではお清めの水だから「清い水」という単語も散見されるが、現時点では過去の新聞などの文書では確認されていない)

舁き山笠が通る場所には各所に水で満たしたバケツが準備されており、先走りの男たち(水係)が布製のバケツに汲み入れ、継続的に山笠や舁き手達に水を掛ける光景を見かけることが多い。
バケツに汲んだ水だけでなく、ホースを使った放水なども「勢い水」として扱われる。
なお、雨が降ると大体「天からの勢い水」と表現される事が多い。<

勢い水は、激しい山舁きで体が熱くなった舁き手を冷やす”冷却水”の役割を果たすと共に、道路を濡らす事で山笠の足(台足)の先端に装着されている胴金と道路の摩擦を少なくし舁き山笠をスムーズに動かす助けを担っている。
そのため、舁き出し前や山笠がやってくる前は道路に入念に水を撒いている光景が多々見られる。
このように勢い水がないと山舁きが大変苦しくなるので『勢い水』はとても重要なのであるが、2015年静岡で行われた「静岡まつり」、2018年天神に祭が集結した「祭 WITH THE KYUSHU」、2019年熊本で行われた「祭りアイランド九州」など、山笠期間外のイベントに参加した際は水の準備の勝手がままならなかったこともあり、当時を振り返り「水がなくてつらかったー・・・」と苦笑いする参加者も多い。

参加者だけでなく、沿道の地元の人が各々勢い水を用意して舁き手を鼓舞していたりする。(※ただし慣れてない人が勢い水を掛けるには少々テクニックや注意事項がある。これについては後の「水の掛け方」を参照してもらいたい)
旧西町筋には「勢水処」という勢い水が多数準備されている場所もある。

あまりの体の熱さに、「その水を頭にぶっ掛けてください!」と沿道のバケツの前に駆け込んでくる人も多い。(かくいう山笠ナビも暑い日などの取材では同じ事をお願いする事がある。)

博多祇園山笠の発祥が「承天寺の聖一国師が、民衆が担ぎ進む施餓鬼棚の上から祈祷水を撒いて悪疫退散を祈祷し、博多の悪病を鎮めた」となっており、『水を撒く』という行為が山笠では重要とされている。博多の街の至る所に水を撒く事で、悪病退散・安寧奉納が行われるとされている。
現在でも承天寺では、静岡にある聖一国師の生家の沢から汲んだ”聖水”を、追い山笠の日に柄杓を使って舁き手らに掛けている。

水の掛け方

勢い水は単に水を掛けているのではない。簡単に出来そうに見えるが、それなりのテクニックと注意が必要である。

前述の通り、勢い水は「舁き手を冷やす」「山笠と道路の摩擦係数を減らす(滑りやすくする)」のを目的としているため、腰より下に勢い水を撒くのが基本中の基本。腰より下に撒くことで、舁き手の足の火照りを冷まし、道路と山笠の摩擦係数を減らす事が出来る。

腰より上に巻く際は、上方に振り撒く形で水を撒く。上方に撒くことで勢い水が広範囲で降り注ぎ、舁き手を頭から冷やすことが出来る。
ここで大事なのは「水平に撒いてはいけない」という事である。水平に勢い水を撒くと、水が舁き手の顔面に直撃することになり、痛いだけでなく水で視界を奪ったり、横から水を掛けた場合は耳に入ってしまいバランス感覚が失われてしまう。場合によっては中耳炎を引き起こすこともあるためである。

また、バケツの持ち方も両手でしっかりとバケツを支えることが重要である。片手でバケツを持って掛けようとすると、慣性の法則でバケツの向きが変わり、自分や沿道の見物客に水を掛けてしまう・・・という悲惨な光景を見ると居たたまれない。
そのうえ、水が入ったバケツは重いため、うっかり取っ手から手を放してしまい、バケツが舁き手や山笠に向かって飛んでいくという大変危険な状況を生んでしまう。

特に背の低い子供が走る際はこの撒き方には注意を払う必要がある。上記の事に留意して大人と同じ力、同じ高さで勢い水を撒いても、背の低い子供にとっては大変危険な高さとなる。水に足が取られて転倒したり、顔面を直撃して視界が奪われ怪我や病気に繋がる可能性があるため、先走りや子供山笠での勢い水掛けは重々気を付けないといけない。

水不足問題

博多祇園山笠は梅雨の時期に行われるため、雨の中で見物するのは見物客は大変なのだが、逆にカラ梅雨になると今度は「勢い水問題」が起きてくる。カラ梅雨の可能性が浮上してくると、水の確保が頭痛の種となり、実際にそのようなことになってしまうと勢い水の確保のために博多祇園山笠自体が右往左往する事になる。

カラ梅雨問題は過去に何度か発生しており、特に大変だったのは1978年(昭和53年)のカラ梅雨の時。5月20日から福岡市は給水制限に突入。6月3日には櫛田神社にて雨乞い祈願が執り行われ、降雨を天に祈ったという記録が記録が残っている。
しかし、かつてない渇水続きで7月に突入。貴重な上水道を祭りで使うわけにはいかず、各町内には「勢い水は井戸水を使うように」と要請。7月3日博多祇園山笠振興会が福岡市役所に相談。7月12日の追い山笠馴らし、13日の集団山笠見せ、15日の追い山笠で使用する計100トンの水を、市側は中央区の平和台、動物園の二カ所の井戸から取水できるよう配慮すると回答をもらい、水の運搬費用を振興会で負担して行事当日に専門業者に運んでもらって勢い水問題をしのいだ。
追い山馴らしと集団山笠見せの日はでは激しい雨が降ったが、水不足を解消するまでに至らず。7月15日の追い山笠は、午後9時から翌日午前11時まで夜間断水が行われている中、用意した井戸水20トン、さらに博多の井戸水も総動員され、なんとか無事神事を執り行う事が出来た。
なお、「いつか降るだろう」と思っていたこの年の雨だが、給水制限は強化と緩和を繰り返しながら翌年1979年3月24日まで、実に287日も給水制限が続き、「有史以来の異常渇水」とも言われている。

また、同様に早々に梅雨明けする年も頭の痛いところで、1994年(平成6年)は7月早々に梅雨明けし、全ての行事がカンカン照りの猛暑の下で行う事に。福岡市の水道事情も悪化、当初の節水の呼びかけでは乗り切れず、夜間断水が行われ、この年も水問題の解決は翌年まで持ち越した。
山笠もその渇水の影響を受け、7月13日の集団山笠見せでは事前の水撒きを中止。勢い水用に開ける消火栓も一つ減らすなどして水を約30%を節約して行事を行った。

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