意味 大切な人の為なら優しい母も鬼神になる 山笠事で城(家庭や家業)を留守にする男衆に代わりに、それを守る「ごりょんさん」に敬意を表します。 豊後・大友宗麟の一族で豊後鶴崎城々主・吉岡統増(むねます)の母で、夫は戦死しており、出家して「妙林尼」と称していました。天正14年(1586年)、島津勢と大友勢との戦いに息子の統増は精鋭を率いて参戦します。その為、残ったのは老兵・農民・女子供だけです。 島津の分隊三千が鶴崎城を取り囲みます。降伏との意見が多い中、妙林尼が指揮を取り280丁の鉄砲と鳴子・落とし穴・馬矢来などを駆使して撃退すること16回。手を焼いた島津勢からの和睦提案を受入れたと見せかけ何度も酒宴を開きます。その後、豊臣秀吉が九州攻めを開始したため、早朝に二日酔いで島津勢は撤退を開始。退路に伏兵を置き奇襲をかけ討ち取った武将の63首を大友宗麟に届け、報告を聞いた秀吉を驚愕させた人物です。
[人形師:白水英章]
人の世の生き血を吸い、不埒な悪行三昧、醜いこの世の鬼たちを退治てくれよう桃太郎 現代社会に蔓延る不埒な輩の根絶を願います。
[人形師:白水英章]
延暦16年(797年)の「続日本書紀」に「博多大津」と記され「土地博く、人・物多し」と都市形成を成していたとされます。 安土桃山時代まで自治都市として栄えましたが、戦火により荒廃。 九州征伐を終えた豊臣秀吉は1587年に博多の復興を構想。この区画整理事業は太閤町割 りと呼ばれ、町筋ごとに「流」という集合体を形成させた。現代博多の基礎をを築きました。 博多松囃子や博多祇園山笠といった大規模な祭事は今でもこの流単位で行われている。
[人形師:室井聖太郎]