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2014年 大黒流

標題

千年契

(せんねんのちぎり)

戦国武将たちの争奪の的となり、度重なる戦火に見舞われた博多の再建・復興のための秀吉の箱崎滞在は約1ヶ月にわたり、秀吉および石田光成、千利休など豊臣政権の中枢郡に位置する人々と博多の町衆は結びつきを深めて行った。
箱崎における連歌会で、秀吉が「博多町 幾千代までや つのるらん」(博多の町が何千年(永遠)も栄えるよう)と句を詠むと、神谷宗湛らはこの句を博多のつわものたちに申し聞かせ、必ずや実現し末代まで語り継ぎましょうと誓った。

豊臣秀吉
今から約430年前、博多にはアジアを舞台に活躍する多くの豪商が存在した。明、朝鮮などの交易で大いに栄え、巨万の富が集まる博多は、戦国武将たちの争奪の的となり、多くの合戦によって度重なる火災にみまわれ、東アジアの国際貿易郡市として隆盛を極めたかつての面影はなくなっていた。
豊臣政権は、九州平定以前の天正14年(1586年)の段階から博多復興の方針を決定し、九州平定後、神谷宗湛、嶋井宗室にも協力させ博多の再建が本格的にすすめられ、博多の指図(設計図)を作成し町割が開始された。
それに伴い秀吉は、博多の市場を開放し、さらに税金も免除、博多には武士が家を持てないとも定め、数人の会議による町人自活「年行司」を許し、自活制度の基礎を作り、博多の商業活動を保護することによって、博多の復興をより強力に後押しし、みごと博多を国際貿易港として蘇らせた。

[人形師:宗田智幸]

山小屋の場所(2014年度)

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