流の紹介・山小屋マップ

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山笠ナビ流の紹介・山小屋マップ博多リバレイン2013年 博多リバレイン

2013年 博多リバレイン

飾り山(表)

標題

智勇誉軍師

(ちゆうほまれのぐんし)

黒田官兵衛(孝高)は、天文15年(1541年)、黒田職隆の嫡男として播磨国の姫路に生まれる。戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名、豊前国中津城主。孝高は諱で通称の「官兵衛」や出家後の「如水」の号で有名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、構成に「両兵衛」「二兵衛」と称された。秀吉の命で、1587年から始まった博多の復興事業「太閤町割」にも関わっている。長男は福岡藩初代藩主である黒田長政。
秀吉は孝高(官兵衛)の才知を高く評価すると同時に、この座をも脅かしかねないものとして恐れたという。秀吉が家臣に「わしに代わって、次に天下を治めるのは誰だ」と訪ねると、家臣達は徳川家康や前田利家の名前を挙げたが、秀吉は、「官兵衛はがその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るだろう」と言った。側近は「官兵衛は万石程度の大名に過ぎませんが」と聞き返したところ、秀吉は「お前達は奴の本当の力量を分かっていない。奴に百万石を与えたら途端に天下をとってしまう。」と言った。これを伝え聞いた官兵衛は、「我家の禍なり」として直ちに断髪し、「如水」と号したという。関ヶ原の合戦の後、長政が先に勲功として家康から筑前国名島(福岡)二十七万石への加増移封となった。翌年、如水(官兵衛)にも、これとは別に上方での加増が提示されるが辞退し、その後は中央の政治に関与することなく隠居生活を送った。晩年は再建に努めた太宰府天満宮内に草庵を構えている。
現在に続く官兵衛・長政親子の功績は、「福岡」をつくったことです。黒田家は名島城と名付けた。しかし、その礎を築いた官兵衛は、福岡城の完成を見ずに1604年京都の伏見で没し(59歳)、祟福寺(博多区千代)にもお墓がある。このように黒田家が藩主とならなければ「福岡」という地名は存在していない。

[人形師:置鮎琢磨]

飾り山(見送り)

標題

祭博多之賑

(まつりはかたのにぎわい)

長谷川法世さん原作の「博多っ子純情」登場人物で「博多の三大祭」を題材にしました。原作は、博多の町を舞台とし、主人公の郷六平と同級生たちの青春群像に人情味あふれる古き良き時代の博多の風物を絡ませた作品である。サブタイトルにも、毎回博多弁が用いられ、体をゆすって走っていた路面電車も度々登場した。地元出身のチューリップも法世さんの快諾を得て、同名曲を1977年に発表し、漫画とともに「博多」を全国に広めた。1978年には松竹配給で映画化され、1980年には第26回小学館漫画賞を受賞。

※「博多どんたく」は、毎年5月3・4日に行われ、町中が賑わう。「松囃子」に端を発するといわれ、三福神、稚児、囃子を含む「通りもん」などから成っていたが、今では誰でも参加できる庶民の祭りとなった。「どんたく」が終われば、博多の町は「山笠」の準備に突入する。「博多祇園山笠」は、疫病退散を願う商人の町・博多の祭りで、疫病退散は町の祭りの特色である。中世にできた「町」は、家屋が密集し、疫病が発生した。平安京では検非違使が道路や下水衛生の管理を厳しく取り締まり、博多でも衛生管理などを「流(ながれ)」という住民組織単位で任され、山笠を初め松囃子などの祭りも「流」ごとに行われ、現代に続く。9月に行われる「放生会」では、昔、「幕出し」が盛んであった。「幕出し」は松原に慢幕を張り、その中で宴会を楽しむ行楽。宴会道具や幕をつめた長持ちを担いで博多町家から繰り出した。男達は、山笠で裏働きしてくれた嫁さんへ幕出しにかかせない着物をプレゼントしていた。それを自慢しあうのが女性たちの楽しみであった。この幕出しも大正末に途絶えたが、博多町人文化連盟は、幕出しを昭和48年に復活。以来9月14日に幕出し道中を再現している。(祭り解説文 監修・協力・・・長谷川法世)

[人形師:生野四郎]

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