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【特別インタビュー】中村弘峰人形師、かく語りき。「山笠と、祈りと、”中村弘峰”と。」

令和5年の一番山笠を務める土居流の人形師、中村弘峰さん。誉の一番山笠の人形師を務める傍ら、7月14日より開幕する世界水泳の会場に展示する”特製の舁き山笠”も手掛けます。
創業大正6年 博多人形の老舗「中村人形」の四代目。四代目という看板を背負いながら、五月人形とアスリートをかけ合わせた「アスリートシリーズ」、雅な紋様をあしらった動物の「グリーンアイズシリーズ」など、従来の博多人形の世界に斬新な風を吹き込む新進気鋭の”アーティスト”でもある中村弘峰人形師。
「一番山」とは? 「人形」とは? 「中村弘峰」とは? 舁き山笠人形に袴を取り付ける作業をしている飄々とした横顔に、聞きたかったことをイロイロぶつけてみました。

個人的に「今の率直な気持ちをお聞かせください」で、ざっくりコメント取っちゃうようなインタビューとか好きじゃないんですよ。
あー。なるほど。
聞きたい話がたくさんありすぎ色んな話に脱線しまくると思うんですが、そこは何卒ぜひお付き合いいただけたら・・・っ!
あははは。分かりました。
まずは、ここはやっぱり「山笠」について聞かないと。昨年は櫛田神社の飾り山を担当されていましたが、そもそも「舁き山笠」と「飾り山笠」を作る時の意識の違いってありましたか?
全然違いますね。どう違うかって説明しにくいんですけど。
うーん・・・飾り山笠は「絵巻物を自分が作る」という楽しさなんですよね。ミニチュアや鉄道模型を作るような楽しさがあって。舁き山は「走らせて楽しい」とか、「車の改造」に近いというか楽しみがあります。飾り山笠の方が通好みなんで、山笠を作ってる!って感じがするんすけどね、舁き山笠はどっちかというと、みんな好きなものなんで・・・そう! “懐石料理”と”コスパが爆発しているランチ”みたいな違い、みたいなのが、僕の中にはある。「みんなが好きなものを作ろう」みたいなものと、「通好みの伝統的な料理やコース」を作ろうと。そっち(伝統的な料理)はルールとかいっぱいありますからね。そんな差があるんじゃないかなぁと。
2018年の大江山から数えて4つ目の舁き山笠制作となりますけど、3つ作っても今でも試行錯誤したりするものですか?
毎回テーマが違うから「同じ事をしない」みたいな、チャレンジを持ってやってますね。去年の雷電って全部丸彫っていうか裸で浮世絵が飛び出してきたみたいな感じでしたし、大江山はあのように大きい鬼の頭(かしら)だったり、弁慶は小っちゃい牛若丸がついてるみたいな。山笠って似たような人形になりがちじゃないですか。町の人や見る人に「今年はどんなものが出てくるか楽しみ」と、思ってもらいたいんですよね。 毎回自分でも新鮮味を持ってやっているので、毎度違うし毎回どんどん変わってきているので、毎回テーマを持ってやってるって感じですね。
今回一番山ですが、やっぱり気持ちや気合はいつもと違うものなんでしょうか?
そりゃあもう全然。今年、黒田長政公没後400年なんですよ。長政公って博多の礎を作った武将じゃないですか。一番山と節目が重なってて、なんかタイミングかなあって思って。
あと、博多祇園山笠の写真っていろんなメディアに出て行きますよね。人形が黒田長政で、一番山笠って書いてあって、山笠担がれてて。その写真がメディアにバーッと出ていくのが理想形だなあって思ってて。「王道」みたいな事が、今年できるじゃん!って。山笠の写真は、向こう10年これを使っとけば結構持つ!みたいな作品を作りたいなと。そんなモチベーションで作ってます。
同時進行している世界水泳の人形は、舁き山笠と比べると飾る場所も使われる目的も違いますが、作る側の”スタンス”的にはどこが違いますか?
何が違うってまあ・・・うーん・・・基本一緒! わはははは。
何が違うんだろうなあ・・・全然違いますっても言えるんですけど。あはははは。
ただ、この人形はでかいんですよ。立ち姿なんで。立って3メートル80センチの人形ってのは、むっちゃ高いんです。そういう意味では全然違う。山笠って直立で立つ人形ってあまりないじゃないですか。電柱が埋設された時に、電線を気にしないでこういう高い人形が走ったらいいな、って感じで作ってます。
世界水泳のために、世界各国の人達が集まってくると思うんですが、”外国の人の目”って意識しました?
あー、外国の人には聖一国師って誰で何をした人か分からないから人形に込められた意図はわからんやろなあって。「ごめんね! わかんないでしょ?」みたいな気持ちはめっちゃあります。日本人でも分かんねえだろうなって思うんですが、とにかく「でっかいキレイな人形が立ってる!」って思ってもらえるぐらい綺麗ですよ。袈裟とかきれいな布を2.5 × 5メートルも使ってるし。
久留米の成田山の巨大な観音像みたいな。でかい神々しいものが立ってると手を合わせたくなりますもんね。
そうですそうです。柄杓(ひしゃく)で祈祷水を撒いてる姿なんで、コロナ退散じゃないですけど、やっぱ水のしぶき感で世界水泳とつながるってのもあるかなと。

「昔の人が、飢饉とか病気とかが蔓延して人口の何割が死ぬとか、
そういうの体験して祭りとかで願ったりしてたことが、
分からなくなってたと思うんですよね、現代って。」

櫛田神社の飾り山笠を3年間担当されましたが、その3年間はコロナの3年間だったじゃないですか。いろんな意味で重かったりきつい3年間を担当する事になったと思うんですけど、弘峰さんの中ではどんな感じで3年間を見てましたか?
・・・やっぱり、あのー・・・山笠がなくてわかる山笠のありがたみをみんなが実感してるなあと。状況としては・・・(山笠は)ないんだろうなぁと思ってたんですよね。山笠が中止になるってのは信じられないって感じはありましたけど、みんなもそうだったんじゃないですかね。あれよあれよという間になんでも中止になるのが当たり前になって。
けど、なんか・・・やる?みたいな。やるんだぁ、櫛田神社だけは飾るんだぁと。うちだけ山笠を作る、みたいなトコロで、何か申し訳ないなという気持ちもすごくあったかな、他の人形師に。やっぱ山笠が収入の大きなところを締めている方もたくさんいるから、うちだけ作るのかぁ・・・って。申し訳ないって思わなくてもいいと思うんですけど、なんかね・・・その・・・んー・・・だから、しっかり作らなきゃなあって思ってましたね。
この3年間だけはみんな同じ方向に「祈り」や「願い」があった気がするんです。そして今年から通常開催戻るじゃないですか。私の穿った見方なんですけど、今年からまた人それぞれの「祈り」や「願い」になっていくって事に、山笠人形を作る人はそういう「願い」とか「祈り」の変化ってどう考えてるのかなぁと思ってるんですが。
元々人形師は、特にうちは人形を「人の祈りを形にした物」とか言っているので、全てそういう気持ちで作ってるんです。ただ、世の中はそういうことを忘れがち。だからコロナの時に浮き彫りになって、その事にみんな気付いたと思ったんですよ。 昔の人が、飢饉とか病気とかが蔓延して人口の何割が死ぬとか、そういうの体験して祭りとかで願ったりしてたことが、分からなくなってたと思うんですよね、現代って。
「生きる」という事がまず一番の願いだったわけですもんね。
そう。いつも、僕はいつも父とそういう話しをずっとしながら人形を作ってるんでね。「あー、なんか現実味を帯びてきたなあ」って。
依頼主のニーズとか願いを聞くことは、その願いとかを一旦弘峰さんが全身で受け止めるわけじゃないですか。受け止めるのも大変だし、その想いをアウトプットする時ってきつい時ないですか?
いや、それが僕はなくて、なんといって言うんすかね・・・あれなんすよ。「管(くだ)」みたいな。
依頼主と人形を繋ぐ管?
そうそう。僕のフィルターが一枚入ってるんですけど、僕が「パイプ」でお客様の願いが流れてきて、それを通して作品が出てくる「管」なので。
この前、友達が言ってたんですけど、ナポレオンって「チューブの哲学」みたいなのがあるらしいですね。「天の意思をよどみなく実現させるように努めるだけ」ってやつで、それが革命家に必要なものであるみたいなのを、ナポレオンが言ったらしくて。それに近いっすよね!って言われて。あー、そこまでたいしたもんじゃないけど分かる気もするというか。お客さんとか来た仕事に対しては、そういう気持ちは若干あるかなぁって感じですね。
まあ、15年ぐらいするとフィルターに目詰まり起こして替えないといけないかもしれないかなと思うんですけど、まだ目詰まり起こしてないです、あははは。
その目詰まりの実感はまだないんですけど、もしかしたら、どっかでくるかもしれないです。オーバーホールで替えないといけないような。これはそう思いますね。
「四代目」という事が重荷に感じた事あります?
いや、ないんですよね、僕。
ないんですけど、去年、太宰府天満宮で中村人形の「太宰府天満宮」展ってのがありまして、オープニングセレモニーで僕と父でスピーチしたんですよ。父が喋った後に僕が喋ったんですが、その場に100人ぐらいいたかな。喋っててね、僕ね、号泣したんですよ、その時。めちゃくちゃ珍しくて。
なんか、ご先祖さん喜んでるだろうなぁーみたいな気持ちがあって。祖父とか曾祖父とか名前出せるのって子孫だけじゃないですか。中村って昔は「うまいけど商売下手」みたいなところがあったんですよね。で、父とかも”認められてもいいのに”って結構悔しく思ってたってのをよく聞いていて。父と「こういう展覧会とかをやったら、おじいちゃんとか喜んだろうやろうね」って話はよくしてたんですよね。そういう気持ちと、「太宰府天満宮」って場所は人々の祈りが沢山ぐわーって来る空間じゃないですか。そういうとこで展覧会をさせてもらえるのが、なんか「中村家の軸」と「太宰府天満宮の軸」が、この今、この瞬間にここで交差して、そこに自分が立ってるなて思って。なんか不思議な気持ちになって、涙が出てきたんですよね。その時にスピーチで「あ、今わかりました。僕、プレッシャーがかかってたんだと思います」って。
それは展覧会のプレッシャー? 四代目というプレッシャー。
いや。人生というプレッシャーで。「なんか、”人の祈りを形にする”なんて、おこがましい事で本当は言っちゃいけないんだって事が今分りました。だけど、そういう理念に共感してこういう場所を与えてくださったり、自分たちの作品が欲しいって言ってくださる人がいるって言う事に、ものすごく今ありがたいと思いました」と。それがその瞬間に分かったんですね、”祈りを形にする仕事です”って言い方が。
「でも、こうやって場所を与えて頂けているので、これからもますます皆さんの期待に恥じない作品を作っていきます」・・・みたいな感じで、もうボロボロに泣き崩れて。てなことがあって、なんかそれがプレッシャーがかかってた。かかってるって全く思ってなかったんですよ。今も思ってないんですけど。
・・・そう! その時が、フィルターの目詰まりですよ、それが!
すでに一度目詰まりをしていた!
してた! 一回してた! だからリニューアルした! わはははは。
そういうのがあるかもしれないです。定期的にくるかもしれない。去年10年なんですよ、人形作りだして。10年目に一回メンテが入った。ちょうどいいタイミング。多分、そういうことですね。目詰まりって。
そういう意味でプレッシャーはあるかもしんないんですけど、一個一個の仕事に対してはプレッシャーまだない。出来る出来る!って感じで。”めんどくせぇー!”って思ったりするんですけど、”あぁ、出来るしなぁ” “出来ちゃうしなぁ”って。出来る出来るって、達観・楽観主義ですね。受けすぎてますもん、仕事。マジで。
でも、なんか面白いなあって。これは作るべくして作るもんだと。すべてが繋がるんで。その大きな流れに逆らわない。ただただ、フィルターを掃除して水を流し続けていればいいんだと。仕事が来てるってことは、そういう水は流れて来ている。だから流す。流すには作るしかない。じゃあ、作るかぁってみたいな。
山笠らしく「水」で話がまとまりかけてますね。
そうすね! そうすね!
でも、そういう感じの哲学がありますね。

・・・って、山笠ナビっていつもこんなディープな話聞いてるんですか? あははは。

「サゲが欲しいんですよ、何事も。
テキストを書く時も、インタビューを受ける時も、喋る時も。」

話変わるんですけど、弘峰さん”文才”ありますよね。
文才!?
いろんなところに寄稿されてるじゃないですか。
寄稿してますねぇ。恥ずかしながら。
読んでて感じたのは、人柄が見えるというか、ひょうひょうとしてるというか。頭の斜め上から自分を見ているような文章ですよね。
あー、はいはい。確かに。目標としては、ね。
言語化することによって、自分のやってる事の見直しとかに繋がったりするトコロとかあるんですか、
めちゃくちゃあります。トークショーとか、何でもそうですよ。全部が僕を客観視させてくれるというか、それが気持ちいい。なんかね、理屈っぽいんで僕は、もともと。今自分が何やってるかって座標を確かめたくなるタイプ。
さっきのような哲学的な話はいつも父としてまして。やっぱ僕がやっぱすごい気になるタイプなんですよね。小っちゃい頃から、死んだらどうなるとか。それを父に質問すると、父なりに全部返してくれる。いまだに疑問に思ったことは結構聞いて、自分も人から聞いた話を父に喋る。なんというか、暗記できるし、アウトプットできるし、哲学的なことも人生の先輩として聞くこともあるし。わからないで終わりたくない。
人に喋ったりしてアウトプットすることで、頭の中を整備する感じ?
「芸術」とかって、社会に嚙んでるのが大事と思ってるんで。ダイレクトじゃなくても、モノ作ってて、自分の好きな図工の延長で勝手に作ってても、それが何か社会に噛みあっているのが大事って思ってるんで。それを判断する方法は、ロジカルじゃないと分かんないと思うんですよね。単に「欲しいとしてくれている人がいるから作る」みたいな感じで捉えてたら、何か僕の中では物足りないんですよね。もうちょっとロジカルに考えて作ってみたい。
だから山笠でも「没後400年の弔い」と「この街作ってくれてありがとうございます」のような感謝みたいなものをこの人形に込めて作るってのは、今年しかできないことだし、それを博多祇園山笠でやると長政公の魂とか喜びそうじゃないですか。そういうことを考えながら制作をするのが好きなタイプっていうか。あははは。だからアウトプットが僕の大事なパート。とにかく作るみたいな。多いすよね、僕。
そうそう、知り合いの娘さんから彼女のお父さんの人形を頼まれてて、山笠のこのやばい時期(※6月20日)にその人形を少し作ってるんですよ。
この時期に!
「なんで、俺はこの忙しい時期にコレ作ってんだ!?」と。
作り続け、書き続け、しゃべりつづけ。
そうなんですよ。だからもうあきらめてます。それが自分を強くしてくれていってるなあと。
私って人の作品を見て「すげえなぁ」と思うと同時に「ちくしょう、うまいこと作りやがって!」って嫉妬を燃やして原動力にすることが多いんですが、弘峰さんって人の作品を見て嫉妬することってあります?
ありますよ、「アート」では。「ない物ねだり」みたいな感じですが。まぁ、山笠に関してはないですね。
博多人形というフィールドでは?
全くないですね。博多人形の世界でも意識したことがない。
現代アートの世界でも作品を発表してるんですけど、現代アートで100%やれたらもうちょっと出来るけど、五月人形も作らないかん、お雛さんも作らないかん、山笠も作らないかん、干支も作らないかん、その余った時間でアートだもんなぁ!みたいな。みんな時間たっぷり使えていいよなぁ!って思ったりしますね。
それが「ない物ねだり」。
そう、あははは。時代が変化してて、アートってなんか世界的に日本でも海外でも幅を利かせてきてるんですね。で、いつまでも博多人形師のままでいられない時代がもう来ているというか、結局マルチな才能にしか人が価値を見出さないようになってきているというか。これしか出来ないみたいな美徳ってのが、だんだん薄れてきていて。大谷の二刀流じゃないですけど、大谷を越える方法ってもう三刀流しかない!みたいな。犠牲フライの職人とか代打職人とね、道を追求した人は作っていけると思うんですけど、やっぱ今スターダムに行く人ってのはマルチな人が多いですよね。歌って踊って演技ができるとか。副業もオッケーな時代だからこそ、そういう価値観が広がっていると思うんですよね。博多人形も工芸だけに閉じこもってると潰(つい)えるなぁと、僕、元々思ってて。アートの中で価値を付けていかないといけないんじゃないかなぁと思ってて。
・・・あと、やっぱあそこは人脈なんですよ、ほとんど。すごい人脈の世界なんですよね、あそこ。僕、今、東京に住んでないじゃないですか。ここにいながらアート協会の人間たちに”こんな作家がいる!”って思わせないといけない時に東京にいない。「うらやましいなぁ」って思う事はありますが、「どうでもいいといっちゃあ、どうでもいい」って思ってるのもある。
博多人形を作ってる時に「自分のカラー」ってどこら辺で固まりました?
確立されたのは息子が生まれて、五月人形とアスリートを掛け合わせた人形を作ったときにブレイクして。それがその後のシリーズを決定づけて。それが一個の転機ですね。
でも、もともとの資質として、落語が結構好きで、サゲ(オチ)が欲しいんですよ、何事も。アスリートシリーズが生まれる前から、テキストを書く時も、インタビューを受ける時も、喋る時も、何かしらの”サゲ”とか”お土産”を持って帰ってもらいたいっていうクセがもともとあるので、その辺が自分なのかなー、って思ってます。だから、とりあえず期待を上回るとか、最低でも”ダジャレ”みたいな? あははは。でも何もしない事はないというか、何かそういう感覚がすっごいありますね。
・・・そうそう。この人形を見てなんか感じません?
・・・おおぅ? ・・・ほぅほぅほぅ、ナニか後ろにいるぞ・・・。
気づきませんでした?
・・・よく見たら具足がついてる・・・!
わはははは。ブルーシートって意外と気づかれないものだな。
! しかも官兵衛!
しかも、表と見送り、同サイズ。
これはみんなびっくりしますね。
これも壮大な”お土産”じゃないですか。見送りの人も喜ぶやろうな、みたいな。土居流は、方向転換の時に裏山笠で進むときあるから、一瞬こっちが表になる時があるんですよ。
総務の今年のテーマは「忠義」らしいんですよね。総務が人形を長政にした理由は「官兵衛という親父がいるから」って。子が親を思うとかね、下の人が目上を尊敬するとかね。なんかそういうことが大事なんだって。そして「中村弘峰は中村信喬という人形師の息子だっていうことも大きい」って言ったんですよ。山笠が代々引き継がれていく。血縁とか命が三代目、四代目とか引き継がれていく、そういうことが今とっても大事じゃないかっていうメッセージがあるみたいなことを総務が言ってたんですよね、先日受けたインタビューで。
・・・で、その話の時、隠してるんですよ、この官兵衛の人形を。
え? この官兵衛の人形、誰も知らない? 総務も!?
誰も知らない。総務にも教えてない。これ、まだ総務にも秘密にしているんですよ。(※6/20時点)
そのインタビューで「見送りに官兵衛が付きます」って話はしたんですけど、まだ人形組んでなかったので。総務は官兵衛の絵が見送りが付くってぐらいで思ってたみたいで。だって下絵も正面からの絵だし長政しか映ってないんですから。
た、確かに大江山とか雷電とかは見送りは絵でしたね・・・!
でも、今回はまるまる人形が1体来るんです。飾り付けの時に初めてわかるんですよ。一番山ぐらいはこういう”全部載せラーメン”みたいなものもいいんじゃないかと。なんで、気合が普段より入ってますか?って聞かれれば入ってますと。

60分間、聞き続け、話し続け。
そんな弘峰さんに”敢えて”聞いてみた。

長時間ありがとうございました。最後なんですけど「今の率直な気持ちをお聞かせください」。
わははは! 率直な気持ち! えー・・・「初めての一番山なんで、みんなを驚かせたいと思ってます。がんばります。」
じゃあ、世界水泳の「率直な気持ちをお聞かせください」
世界水泳! んー・・・あ! ライブステージとかの装飾、別ラインで僕に依頼がきてて、僕が描いた波と、鶴・亀・トビウオの絵が、外の露店とかライブステージとかイベントとか飲食物ブースにガーッて飾り立てられるんです。その真ん中にこれ(特製舁き山笠)が立つんです。結果的に僕の絵と山笠で構成したセルフコラボレーションになったんで、自分の仕事と自分の仕事がマッチするのが楽しみっていうか。もともと僕がやることに決まってた仕事に、舁き山笠を作る役目がやってきたので、不思議な導きを感じますね。バチャーンてツモった!って感じ。ハイテイでカンして順番が一つずれて、そこでツモって!みたいな。すごいでしょ? ”引き”がね。

ホント不思議な事に、ここ数年、山笠に携わらせて頂くことがとても多かったって感じがするんですよね。今年一番山だし、櫛田のあの3年間をやらせてもらったし、この世界水泳やし。「わー! 山笠忙しい!」みたいな。
なので「天意」なのかなと。天が僕に「山笠にがんばりなさい」って言ってるのかなと。だから手が抜けないんですよね。がんばるしかない。

-2023年6月20日(火)中村人形にて-

そして7月2日、飾り付けの日。

※なお7月2日当日、状況を確認したところ「当番町にもまだ誰にも気づかれてません」とのコト・・・!

【中村 弘峰(Nakamura Hiromine)】
1986年福岡県生まれ。2009年東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。11年に同大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了後、博多人形師である父 中村信喬に師事。「中村人形」の4代目を継ぎ、伝統を重んじつつ現代性を取り入れた斬新な作品を手がけている。近年の受賞歴は2020年「九州芸文館トリエンナーレ」大賞受賞、2021年「西部伝統工芸展」日本工芸会賞受賞、2023年「福岡県文化賞」奨励部門受賞など。
・中村人形ウェブサイト:https://www.nakamura-ningyo.com/
・中村弘峰Instagram:https://www.instagram.com/hirominator2.0/
・中村弘峰twitter:https://twitter.com/hirominator