時期尚早の台風が九州付近を過ぎ去り、山笠関係者が胸をなで下ろした6月末。
天神一丁目の飾り山飾り付けを前日に控えた6月25日、白水人形を訪れました。
この日は飾り山に使う飾りの搬入日。5月から続いた取材に、一つの区切りが付く日となります。
白水氏「今、手が離せないから、勝手に入ってきて下さい」
今まで一度もなかった白水氏の指示に戸惑いつつも、声がした作業場の方へ。
作業場に足を踏み入れると、白水氏とお弟子さんが最後の仕上げの作業を行っていました。
作業場では、お弟子さんが人形を支え、白水氏が人形の衣装に紐を縫い付けていました。
この紐は畳の縁を縫い付ける時に使用されるポリエチレン製の固い糸です。この紐を針金を曲げた針に紐を通し、衣装に縫い付けた後、輪っかを作っていきます。
白水氏「この紐の輪っかは、飾り山に飾った時、左右の微妙な角度を付けるための輪っかです。前後の角度は跳ね木2本で付けるのですが、左右の角度はこの紐にワイヤーを通して付けるんです。」
紐を付け終わると、次は鎧のおどしを下の衣装に縫い付けていきます。角度を付けて飾ると、おどし部分が重力で垂れてしまうため、きれいに見せるため固定するのです。
人形師によっては竹などを入れて形が崩れないようにするそうですが、白水氏は縫い付けることでこの作業を行っています。
最後に刀を結い付ける腰の紐の調整。
この腰の紐を8の字に折り曲げ、出来た穴に刀を通して、刀を固定します。
手首の裏にはビスを打ち込みます。これは、手に持たせた刀を固定するためのワイヤーを引っかけるための固定場所として使用する物です。
すべての人形にこの作業を施して、搬入の準備が完了です。
5月の連休前から製作がスタートした飾り山製作は、無事終了となりました。
しかし、まだこれで終わったわけではありません。翌日の飾り付けからが、この飾りの本番となるのです。
6月26日午前9時。天神一丁目の飾り山が建つエルガーラのパサージュ広場には、昨日の取材後に搬入された飾りの数々が所狭しと並べ広げられていました。
白水氏はこの日から長法被を着用。長法被の姿が、いよいよ飾り付け作業に当たるという緊張感を高めます。
白水氏は、広場の柱にくくり付けた人形一体一体に刀を取り付けていきます。
天神一丁目の関係者が、柱にくくり付けられた人形をじーっとのぞき込んだ後、白水氏に向かって一言言いました。
飾り山は表と見送りがあり、白水氏が担当するのは見送りの飾りです。飾り付けは、表と見送りが交互に行います。飾り山の飾り付けは、多くの場合、跳ね木を使う人形等の飾りから行われ、表の跳ね木と見送りの跳ね木がぶつからないよう、交替で据え付けていきます。
まず表の中村信喬氏がすでに飾り付けを行います。その間、白水氏は中村氏の作業が一旦止まるのを待ちます。
中村氏の作業が一段落したところで、白水氏の作業にバトンが渡されました。
まずは天神(てんしん)が引き上げられます。天神は飾り山の一番天辺に配置される飾りです。
今年の天神一丁目の飾り山は男山なので、櫛田神社の天神額が取り付けられます。
天神の後は、人形やその他の飾りが素山の上に引っ張り上げられていきます。今回は大きい馬の人形があるため、馬の人形よりも上に据え付ける人形や館の飾り付けを先に行います。
白水氏は手に下絵を持ち、スピーカーを使って山大工の方達に指示を出していきます。
白水氏「その人形を『櫛田』の方に向けて・・・行き過ぎ。もう少し元に戻して。・・・そう、それで行きましょう。」
人形師は山大工に指示を出す際、「右」「左」という方向の言葉を使用しません。
なぜなら、お互い向いている方向が対面のため、左右で指示をすると間違いやすくなってしまうためです。そこで人形師は昔から、博多の人なら誰でも知っている間違えない地名を使って左右を表すようにしています。
白水氏「館をもう少し『姪浜』に向けて。もう少し、前に傾ける事できる?」
つまり自分がいる場所から、櫛田(神社)は右手になり、そして姪浜は左手になる、という事です。他にも福岡(左手)と箱崎(右手)という指示もありますが、白水氏は『櫛田』と『姪浜』という地名を使おう、と山大工らと取り決めをしており、この地名で指示を出していきます。山大工の方もそれに合わせて、白水氏の細かい指示に従って飾りを据えていきます。
白水氏「じゃあ、次は馬を上げましょう。」
白水氏の指示で、今回一番大きな飾りである馬が山の上に慎重に引っ張り上げられていきます。
白水氏「どう? バランスとれてるでしよ? 黒馬は横幅の3分の2を占めてたからねぇ(笑)、もう一杯一杯だったんですよ」
笑いながらも白水氏は馬が引き上げられていく様子を見ています。
人形はまず仮置き状態で白水氏の指示を受けます。白水氏の位置確認と修正の指示を受け、GOサインが出てから素山に固定されます。
この馬の場合は、仮置きした上、この馬に乗る人形も跨らせて位置を確認する必要があるため、山大工の方達も慎重に作業を行います。
「馬に乗せたら、人形に手綱持たせる事できます? 小指側に引っ掛けるようにして。」
「その状態で櫛田にずれてもらえる? もうちょい・・・それで決めましよう。」
馬を固定するために、一旦馬に乗る人形を外してから馬を固定し、再度人形を跨らせて位置を確認した後、人形を固定します。大きな人形を据え付ける作業は、山大工の方達も慎重に慎重を重ねた作業となります。
馬の据え付けは無事終了し、中村氏への交代まで飾り付けが行われます。
白水氏「もう少し手前に見せれる? 欄干をこちらの方に向けて‥そう、そんな感じ。」
このように一日目は、主に大きい飾りを据え付ける事で終了。飾り付け最終日である二日目の細かい飾りの飾り付けに作業を繋げていきます。
翌日6月27日も午前9時から作業が始まります。
すでに大きい飾りは前日までに山に据え付けられおり、今日は岩こぶや波などの小さな飾りを据え付けていく作業となります。
白水氏の指示で、次々と山の上に飾りが引き上げられ、山大工の手に渡り、飾りが指示の場所にまず当てられ(仮置き)ます。山の下から指示をする白水氏が飾りのバランスを確認しつつ、固定していきます。
この時の白水氏は、山大工の方の名前を呼んで指示を出し、しかも複数の飾り付けの指示を出して、作業を同時進行させていきます。
「二人称で指示するより間違いがないからね」と教えてくれましたが、長年にわたって山大工の方々と築き上げた人間関係と信頼関係、そして白水氏が持つ飾り山の完成形の強いイメージがなせる指示といえます。
波や岩こぶなどは人形に比べ小さい飾りではありますが、これらの飾りの配置で人形のイメージ、そして飾り山全体のイメージが大きく変わってくるため、白水氏は妥協しない細かい指示を飛ばしていきます。
「その波、館の前、波の後ろに。」
「それ、全部付けたら紅梅つけましようか。」
「岩こぶを反転させて。櫛田にずらして。」
「平岩を当ててください。一枚でいいかもしれん。」
「回転させて。回転、回転・・・もっと姪浜に入れて。」
「松を当てる。左から。」
「道の角に水を当てて。」
下から見える範囲を確認しつつ、位置や細かい角度の調整を飾り山の上にいる山大工に指示していきます。
白水氏は、飾りに遠近感を出すために、下の方の飾りに比べ、上の方の飾りは少し小さめに作っています。小さくするとたくさん取り付けることができる上、この大きさの差が、下から飾りを見た時の『動き』や『勢い』を生む要素となっています。
白水氏「これらの飾りは平面だから、立体に作るのが難しいんです。重ね方で見せ方を作るしかないんですよ。」
白水氏の頭の中にはこの飾り山の完成したイメージが存在しており、飾り付け作業はそれを実際の形にしていく作業なのです。
白水氏「動きのある表現したいのであれば、例えば、川の荒々しい感じを出すなら、川の中に岩こぶを一つ置いて波花を入れると荒々しくなりますし、岩こぶを角度をつけて花開くようにしてあげるとイメージが荒々しくなったりします。」
白水氏「逆に、城の下は『堀』のイメージなので、波の飾りはおとなしくベタで平面で作ってるんですよ。」
しかし、白水氏は飾りの明確な配置については、
白水氏「その時の感覚で決めてるかな。」
と話します。完成形ではなく完成イメージとして、その時の見え方と組み方、そして他の飾りの止め方などの都合で、その場で飾りの位置を考えて指示しています。
飾り付け作業も進み、飾り付けを行える『隙間』もかなり減ってきました。しかし、白水氏の飾りを入れる作業の指示は止まりません。
白水氏「波と波の間から波花だせるかな? 厳しい?」
表現したいイメージと、スペースや取り付け方との勝負。白水氏は満足するまで細かく指示していきます。
そして、飾り山の飾り付けは終了し、一旦山小屋に幕が下ろされます。
この幕が上がるのは、山笠期間が始まる7月1日。それまで飾り山は静かに公開を待ちます。
7月1日、博多祇園山笠が始まりました。
この日より福岡市内に建てられた飾り山の一般公開が一斉に行われます。
飾り山の公開は「御神入れ」という行事を行ってからとなります。
御神入れとは、山笠の中に神様を込め神格化を行う神事で、この神事を行う事で、飾り山は初めて『奉納のため』の飾り山として存在することになります。
午前11時。天神一丁目の飾り山の前に関係者が集まり、御神入れの神事が始まりました。その関係者の席に、白水氏の姿もあります。
白水氏も玉串奉奠(ほうてん)を行い、無事奉納の祈願を行います。
神事は約20分でつつがなく終わりました。
神事が終了すると、関係者に安堵の表情が浮かび、辺りを柔らかい空気が流れます。あちらこちらで今年も無事一般公開できたことを喜ぶ関係者の姿が見られます。
白水氏も緊張が解けた表情で、天神一丁目の表の飾りを製作した中村信喬氏と、白水氏が製作した飾りを見上げながら飾り山作りの雑談を行っていました。
白水氏に『今日、飾り山がようやく公開できてほっとしたんじゃないですか?』と尋ねました。すると、
白水氏「ちょっとだけね。でも、東流の御神入れが2日後にあるので、まだまだ。」
と笑いながら答えました。
しかし、その表情には無事一般公開出来たことを喜ぶ安堵の色が浮かんでいました。
5月の連休前から始まった飾り山の飾り製作。
下絵描き、人形製作、衣装作り、飾り作り、飾り付けを経て、7月1日に無事公開に至りました。
この飾り山は、人形師・白水英章氏の技術、知識、挑戦、想いが込められた人形師の技術の粋という事を知ることができ、そして白水氏のその飽くなき前進と進化の一端を拝見させて頂く事ができました。
全ての飾り山に各人形師の持てる技術、飽くなき挑戦、様々な想いが込められている事を知って頂く事が出来たら幸いです。
今回でレポートが終了・・・と思いきや、この飾り山と同時進行していた東山の舁き山の製作も取材していました。
飾り山とはまた違う作り方が施されたその製作方法を、次回ご紹介いたします。
白水人形オフィシャルサイト:http://www.shirouzu-n.com