6月23日と25日、櫛田神社にて今年の番外・櫛田神社の飾り山の飾り付けが行われました。
朝9時から飾り付けの作業が行われ、素山に登った山大工達に下から指示を出すのは、飾りを製作した人形師・田中比呂志さん(75歳)。
田中さんは2012年はこの櫛田神社と上川端通の飾り山の山笠人形を製作。上川端通の飾り山製作は今年で34年目となります。
去る6月7日に、山笠ナビは、飾り山製作作業で一番忙しい時期にも関わらず、ご厚意で工房を取材させて頂ける事になり、お邪魔させていただきました。
しかも、田中比呂志さんから貴重なお話を直接お伺いさせて頂けました。
飾り付けも進み、飾り山一般公開前という事で、あまり表舞台に出てこない人形師が手掛ける”山笠人形”や”飾り山”の製作話をお送りいたします。
閑静な住宅にある普通の一軒家。でも窓からうっすら見える大きな人形のシルエットに、外に積まれ並べられている飾り山の大きな飾り。 博多から離れた早良区の一角に、人形師・田中比呂志さんの工房「田中比呂志人形工房」があります。
人形作りをお手伝いされてる方が「この辺りに住んでる人でも、ここが何をしてる所なのか分からない人がいるんですよ」と教えてくれましたが、確かに大きな物体が何なのか分からない人がいるかもしれません。
工房の中に案内され、作業場に部屋に一歩足を踏み入れますと、部屋には大きな人形、人形、人形、人形・・・と、数多くの山笠人形がが所狭しと並べており、その数と迫力に圧倒されます。
「この場所にどうぞ」「すみませんね、みっともない手で」と笑って湿布を貼った手をさすりながら、部屋の中央に座って作業をされていた人形師・田中比呂志さんは笑みを浮かべました。
山笠人形は博多人形師が作りますが、同じ博多人形でも山笠人形と博多人形は全く異なります。
サイズの違いは当然ですが、大きく違うのはその作業内容。
博多人形は粘土製で手先だけの作業ですが、山笠人形は竹を曲げたり、木材を切ったり、紙をこねるように貼付けたり等、とても手先に負担がかかるため、同じ博多人形でも体力を使い、手を痛める事が多いのです。
私は近くにあった180cmの高さの人形を持たせて頂いたのですが、これが片手で軽く持てない重さ。「今からちょっと重い物を持つぞ」と軽く気合いを入れないと持ち上げられない気軽に持つことが出来ない重さです。
大きい人形ならなおさらで、運ぶ際は2人掛かりで抱えて運ぶとの事。
竹と紙と木だけで作られており、中は空洞になっている・・・とは思えない重さです。
この質量、この緻密な作り。それを約半年続けるという山笠飾り製作の大変さが、田中さんの湿布から分かりました。
飾り山人形の制作は、その年の2月の打合せで標題が決まり、4月から飾り山作りがスタートします。
舁き山の標題は当番町の意向で内容が決定しますが、飾り山は元々人形師に全て任せられていました。現在でも人形師に任されている所もありますが、建てる場所の方々の意向に沿って標題が決定する事もあります。
今年の上川端通は上川端商店街の意向で標題が決まり、櫛田神社は人形師に一任されて製作されています。
人形は紙と竹で骨組みを作った後、「ハトロン紙」という駄菓子屋で使う袋を使用して肉付けしていきます。
ハトロン紙は柔らかく、肉付けの形を作る時に最適なので、ずっと使っています。
ハトロン紙を付ける時は、にかわを使用。人形師の中にはボンドを使う人も多くなってきたそうですが、ボンドは浮いてくる特性があるので、にかわの方が付きやすく使いやすいためずっと使っています。
「博多祇園山笠は疫病退散の伝統の祭で、黒田藩の庇護があった大きなお祭りです。だから病気に負けないような、豪華絢爛で勇壮で力強く、優雅な物を作らないといけないんです。」
と、語る田中さん。人形を作る際は、実際の歌舞伎の写真をみたりしますが、それは参考程度。山笠人形は、人形師の個性が重視されて製作されます。
山笠人形製作に人形師の個性が重視されるなら、”櫛田神社の飾り山”と”上川端通の飾り山”という2つの飾り山自体には、何か個性やテーマに違いがあるのか聞いてみました。
(左)参考用に置いてあった歌舞伎の写真/(右)ハトロン紙の部分は鎧など付属の部品が取り付けられる部分
(左)一つ一つ手作りで飾りを作る/(右)絵の具の滴で細かい模様を入れる「ふりかけ」。もちろん全ての飾りに手作業で「ふりかけを」入れられる。
(2011年の番外 櫛田神社「智将疾風関ケ原」「神話天之岩戸譚」)
櫛田神社の基本テーマは『伝統』です。
博多祇園山笠の舞台であり、他の飾り山と異なり1年中見る事が出来る飾り山であり、そして観光客の目にたくさん触れるため、伝統を重んじたきちっとした飾り山を作る事が人形師の使命です。
櫛田神社は表は「歴史物」で、見送りは人形師に任されています。櫛田神社の見送りに神話が多いのは、この『伝統』をテーマにしているためです。
一方、上川端通の飾り山は、上川端商店街という場所に建てられるため、今年は「商売繁盛」「家内安全」を願ったテーマで作られました。
この上川端通の飾り山について「作るのが難しいんです」と田中さんは話します。
(2011年の八番山笠 上川端通「京一条戻橋」「秀吉賤ケ岳合戦」)
まず、櫛田神社の飾り山と大きく異なるが、山小屋がない事。
上川端通の飾り山はアーケード街内に建てられる飾り山なので山小屋を作らず、飾り山の横にも飾り付けします。そのため、上川端通は飾り製作に倍の労力が必要となるわけで、櫛田神社の飾り山を作る時に「そういや、この飾り山は横がいらないんだった」と思ってしまうぐらい、人形師には横の飾りを作るのは大変な作業なのです。
しかも、横を買い物客が通り過ぎ、一番間近に見る事のできる飾り山でもありますので、他の飾り山以上に出来に大変気を遣います。
「たくさんの人から見られるからいい加減な仕事が出来ません。
いい加減な仕事をすると来年から仕事が減りますしね。
だから、横の飾りも力を入れて作ってますので、ぜひ横も見て欲しいんですよ。」
そして上川端通の飾り山は、実際に舁かれる“走る飾り山”であるという事が、他の飾り山と大きく異なります。
上川端通の天辺部分は、アーケードに入れるようにするため、伸縮できるように作られます。そのため伸縮部分に飾りを付ける事が出来ないので、その辺りを計算してデザインしないといけません。
背が高い上川端通の飾り山は、櫛田入りの時に「櫛田の銀杏」と呼ばれる大銀杏の繁った枝をかき分けて清道に入ってきます。見物客はその迫力に歓声を上げますが、人形師にとってはこの高さが頭痛の種で、元々紙と竹で作った人形と飾りですので耐久性はそう高くはなく、この櫛田入りを行うと大体どこか痛めて戻ってきます。
「いつも『あの枝切ってくれ』って言ってるけど、切っちゃいけないんだってね、あの枝(笑)」
あと、当然ですが水に濡れる事は飾り山にとっては頭痛の種です。
水をざぶざぶ浴びる舁き山は撥水加工を施しており、ある程度水をはじくように作られているそうですが、飾り山のサイズとなるとそうはいきません。
上川端通の飾り山の下半分は撥水加工はしていますが、完璧な防水じゃない上、やはり素材が紙なので、人形以外の飾りはしんなりとなってしまいます。
追い山が終わった後の飾りは慎重に取り外して乾かされ、後日商店街内にある川端ぜんざい広場に再設置されるのです。
このように上川端通の飾り山を作る際は様々な苦労や心配があり、そして工夫が施されています。この特殊な山をどう作るかという所こそ、人形師の腕の見せ所なのかもしれません。
意外と誰も知らないのが、追い山の日以降の飾り山。
追い山の日は櫛田入りの時間までに飾り山を崩されます。つまり人形師は、追い山が始まる14日深夜から15日早朝に掛けては飾りの取り外し作業で大忙しなのです。
“走る飾り山”である上川端通も、戻ってきたらすぐに崩す作業を行うため、人形師達は博多の町を走る山笠を見ずに山小屋で山の帰りを待ちます。
山に深く関わっている人形師ですが、生で追い山を見る事が出来ないのです。
15日早朝に飾り山を崩した後は、飾りが工房へ帰ってきます。
その際、人形の首と腕は必ず保存します。これはまたパーツを使い回せる事が出来るためです。
というのも、新しい人形を作るとなると時間と労力と費用が掛かるため、以前作った人形のパーツを再利用するのです。再利用といいますが、そこは熟練の職人のなせる技。ヒノキのクズ(粉)とノリを練って作った物で肉付けを行って新たな表情を作り上げ、新しい命を誕生させるのです。
「だから、首と腕は山笠人形を作る人にとって財産なんですよ。」
“財産”である今までの首と腕のパーツは、工房の倉庫にたくさん保管されており、いつでも使える状態にしています。
それでも、やはり毎年7~8体は新しい物を作る事になるわけですが・・・
「今年の上川端通の見送りは七福神なんですが、七福神は福福しい顔にしないといけない。しかもみんな超個性的な顔ですので、今まで使った武将などの人形が使い回せない。だから今回の人形はすべて新しく作りました。
しかも個性的な顔だから、これもまた使い回ししづらい人形で、いつかまた七福神が標題になる時までに取っておかないといけません(笑)」
せっかく人形師の方に話が聞けるという事で、この有名な話を聞いておかないといけません。
「人形師は山笠の後は左うちわで暮らしている(=山笠だけで食べている)」という有名な話がありますが・・・?
「そんな事ないですよ(笑)」
・・・笑いながら否定されました。
山笠人形を作るとなると、これだけの労力と時間を掛けますので、1体作ると数百万円掛かるそうです。ただそれは、一般の人が山笠人形を注文してきた場合の事。
山笠飾りの製作費用は、企業やお店などの寄付等から賄われており、またこれだけの規模ですから経費や人件費だけでも結構掛かるため、儲けはそう高くないそうです。
「まぁ、山笠は儲けちゃいけない空気がありますから(大笑)」
でも、「それでもいいんです」と話す田中さん。 770年以上も歴史が受け継がれてきた伝統行事であり、毎年楽しいし毎年感動するものだから、それに参加するだけでも名誉な事。それが博多祇園山笠の魅力であり、山に関わって働く人の喜びなのです。
山に携わって60年、息子の勇さんは30年になります。
今年の櫛田神社・上川端通も、表を田中比呂志さん、見送りを田中勇さんが製作しました。
60年も凄いですが、30年も凄いですよねと驚く私に、田中比呂志さんはにこやかにおっしゃいました。
「でもあいつ(息子の勇さん)は『まだ30回しか』山笠に携わってないんですよ。
山笠って1年に1回しかないからね。」