宮本武蔵 江戸の初期の剣術家。
二天一流開祖で晩年に「五輪書」を執筆する。
京都の吉岡一門や巌流島(佐々木小次郎)等、多数の闘いが後世に伝えられている。
また、すぐれた水墨画や工芸品を残している。
天下無双を追い求めた宮本武蔵の姿を製作しました。
[人形師:溝口堂央]
一五七二年(元亀三年)十月、遠江(静岡)三方ヶ原で対決した武田信玄と徳川家康の戦い。時の将軍、足利義昭より“信長討つべし”との指示を受けた武田信 玄は、三万五千の精鋭を率いて甲府を出発。遠江に入り二俣城を落とした。更に信長と同盟を結んでいた家康の本拠、浜松を襲おうと十二月二十二日、天竜川を 渡り三方ヶ原に進出した。一方、家康は信長の援軍を合わせて出動したが大敗して浜松城に退いた。信玄は一旦兵を収め、翌年三河に入ったが、陣中発病し信濃 で死亡。三方ヶ原は現在の浜松市の北西部を占める台地である。
[人形師:三宅隆]
天正三年五月二十一日 三河国 長篠城をめぐり織田信長、徳川家康連合軍三万八千と、武田勝頼軍一万五千の兵との間で勃発した戦いである。
当時、最新兵器であった鉄砲を三千丁も用意。
さらに新戦法の三段撃ちを実行した織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべもなく壊滅させられた。
最上段に反織田を率いる将軍足利義昭を配し、武田勝頼、山形昌景(家老)に対する、織田信長、徳川家康、鳥居強右衛門(すねえもん)そして鉄砲隊を配し決戦の場面を製作。
[人形師:中村信喬]