流の紹介・山小屋マップ

NAGARE INFO & YAMAGOYA MAP

山笠ナビ流の紹介・山小屋マップ中洲流2013年 中洲流

2013年 中洲流

舁き山

標題

武勇長政公

(ぶゆうながまさこう)

永禄11年(1568年)12月3日、黒田孝高の嫡男として播磨国姫路城に生まれる。幼名松寿丸。文禄元年秀吉の文禄慶長の役に従軍。慶長3年石田三成と対立。慶長5年家康方に付き東軍武将として関ヶ原にて戦う。西軍の小早川や吉川等を交渉し寝返らせ家康から一番の功労者として筑前名島に五十二万三千石を与えられる。
慶長8年従四位下筑前の守に叙任される。
博多祇園山笠・博多・福岡の地が益々発展しますよう願い製作しました。

[人形師:中村信喬]

山小屋の場所(2013年度)

飾り山

飾り山(表)

標題

合戦石垣原

(かっせんいしがきばる)

黒田如水は軍師として秀吉に仕え、その功績により豊前豊後六郡を与えられ中津城を築城した。石垣原の合戦は1600年9月、元豊後の国主だった大友の義統が旧領回復を目ざして戦う。(大友宗麟の息子)大友義統は、秀吉に不始末をとがめられ、所領を没収され、その後、毛利輝元に預けられ、蟄居の身であった。西軍の名目上の大将、輝元は義統に九州の東軍方の勢力を軌切り崩す様要請し、その見返りとして豊後の国の返還を約束した。義統は豊後に帰国し、大友の旧臣と糾合して、東軍方の如水の前に立ちはだかった。如水は義統に対し、東軍に味方する様に説得を試みたが、できなかったので大友勢との対決を覚悟した。石垣原は、大友義統が本陣をおいた「立石」と黒田如水の布陣した「実相寺山」との間に広がるなだらかな傾斜地で戦いを繰り広げた。開戦当初は大友勢は大いに善戦する。しかし勢力の差は明らかで、主要な武将が次々と討ち死にし、黒田勢の重臣は大友勢を滅ぼす事を如水に進言したが、如水は大友家に対し私怨はないし、敵陣に使者を出し義統はその使いの道を通して降伏を申し出た。
丁度この日9月15日は関ヶ原の戦いの本戦が行われた日でもあった。

[人形師:三宅隆]

飾り山(見送り)

標題

関ヶ原合戦

(せきがはらのかっせん)

慶長5年(1600年)9月、徳川家康率いる東軍と石田三成を中心とする西軍によって美濃国関ヶ原で行われた「天下分け目の戦い」。
慶長3年(1598年)豊臣秀吉が死ぬと石田三成は五大老・五奉行の制度を設けて家康に対抗させようとした。益々対立が深まり、かねてより挙兵の機を伺っていた三成はこの機をとらえ軍を発した。東西両軍が関ヶ原にて激突。黒田長政の攻略と黒田軍の活躍により吉川・小早川の裏切り、島左近、石田三成を追い詰めた。
九州博多に縁深い福島正則、加藤清正をも飾山に登場させ臨場感有る合戦の場面とした。

[人形師:中村信喬]

山小屋の場所

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