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博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

追善山笠(ついぜんやま)

去年の山笠以降に亡くなった山笠の功労者を弔う行事。『弔問山』とも呼ぶ。
各流で行われる共通の行事だが、行事が行われる日は各流によって異なる。

遺族にとっても名誉な事で、家の前に遺影と共に焼香台が用意された祭壇を設け、故人が愛用した当番法被と水法被、愛用の山笠道具が飾られる。遺族が酒、昆布、スルメを用意して待つ中、そこに舁き山笠が舁き入れられ行事が行われる。
祭壇に向かって舁き山笠の表が向けられた後、台上がりが故人との思い出などをつづった口上が述べられる。
そして、皆で感謝と冥福を祈って「祝いめでた」を唄って手一本を入れてから焼香を行い、さっと山笠は帰っていく。

全国的に見て亡くなった方に祝い唄を贈るという風習は珍しい。昭和56年の新聞記事では「追善山、追善山と言いなんな。緑起の悪か。祝儀をもらうっちゃけん祝儀山て言いない」という古老のコメントに表されるように、山笠が好きだった故人なら山笠を前に陽気に弔ってもらった方が喜ぶはずという博多っ子の粋な計らいである。

追善の規定

追善山笠を受ける規定は、各流によって異なる。

明治24年(1891年)の資料では、「当年赤手拭故西方寺前町置鮎利吉、浜小路木村八次、上新川端町阿部伝三郎方に追善山笠持行、当年以後は取締赤手拭相勤めたる者の死亡者に追善山持行は三年以上勤めたる人に限り其家より出す酒は壱升限りとす。」という規定の記録が残っている。

七流合同の追善山笠

追善山笠は各流れ毎に行う行事であるが、1986年(昭和61年)に行われた井上吉左衛門氏の追善山笠は、山笠史上初の七流全てが行った。
井上氏は26年間にわたり山笠振興会長を務めた功労者。7月13日、集団山笠見せに参加した七流は帰路の中、中洲大通りの祭壇前に舁き入れ、博多の祝い唄と手一本を入れ、山笠を愛した明るく山笠の流儀で哀悼の意を表した。

その後、七流合同の追善山笠は、1992年(平成4年)元会長の樋口武之助氏、2006年(平成18年)元会長の井上雅實氏の追善にて行われている。

千代流初の追善山笠

1978年(昭和53年)、千代流は流創立以来、初めての『追善山笠』を7月10日に行った。
千代流の追善山笠が櫛田神社の総務会で発表されると拍手がわいたという。

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