山笠ナビ チャンネルYouTube

博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

志賀海神社(しかうみじんじゃ)

江戸時代、国宝「金印・漢委奴国王」(福岡市博物館所蔵)が発見されたことで有名な志賀島の神社。
古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要衝である博多湾の総鎮守として信仰されている。

志賀海神社が祀る綿津見三神(仲津綿津見神、底津綿津見神、表津綿津見神)は海の底、中、表を守り給う海の主宰神で、海上交通の安全をはじめ潮、魚介類といった海産物の恵みをもたらす神として信仰されている。また祭神が禊で出現されたという事から、禊祓の神として不浄や災厄、もろもろの穢・厄・災などを祓い清める神威を顕現しているといわれている。

創建は明らかではないが、2世紀から4世紀の間に表津宮を現在の場所に遷座。南北朝の頃に衰微するも大内持世が再興。さらに豊臣秀吉が50石を寄進し、小早川隆景、黒田長政なども崇敬した。

神社の各入り口には、お潮井(真砂)の桶が置かれており、神社に入る際は体の左右にこの真砂を振って浄める。まさに山笠のお汐井と同じ使い方をする。
なお、志賀海神社では「お潮井」という文字が使われているが、朝すくった真砂は「お潮井」、夕方の真砂は「お汐井」と定義されている。

中洲流の志賀海神社参拝

中洲流は地鎮祭を行った後、志賀海神社へ参拝を行っている。
中洲流の志賀海神社参拝の歴史は古く、平成11年に刊行された「中洲流 五十年の軌跡」には、昭和30年代に志賀海神社参拝を行った写真が掲載されている。

箱崎宮のお汐井(真砂)は、志賀海神社下の砂浜(禊場)で取ってお祓いを済ませた真砂から運んでいることから、中洲流はそのお礼として参拝を行っているとのこと。
その「中洲流 五十年の軌跡」によると、「レクレーションを兼ね、諸先輩方と共に祈願に行く」という一文が記載されており、当初はレクレーションとして参拝した祈願だったが、参拝を長く続けることで歴史ある「習わし」として扱われるようになった、と考えられる。

61