流舁きにおいて、主な道筋から左右に曲がり込んだ数件の家並みに沿って山笠を舁き入れ、隣町との町境まで行って引き返す事。
これは、昔の博多が背割り方式の町割り(道路をはさんだ向こう三軒両隣が同一町内という)をもとに町が構成されている事に由来している。
1965年(昭和40年)の町界町名整理によって背割り方式の町割りは街区方式に変更、背割り方式の区画自体は無くなっているのだが、博多祇園山笠は今もなお昔ながらの背割り方式の町割りに従い各町を舁き回っている。
1961年(昭和36年)の資料では、追い山笠の見物スポットについて「祇園町の国体道路附近は、東長寺から承天寺入軒の山笠が一望に見られる」と書かれており、承天寺の清道廻りは「入軒」として判断していたようだ。