博多部から少々離れた那珂川沿いに博多祇園山笠に関連する史跡があります。
1966年(昭和28年)6月25日より夜から降り出した雨は、北部を中心に九州一帯で降り続き、九州・山口県で大きな被害をもたらしました。福岡市でも28日までの雨量が621ミリに達し、那珂川はじめ市内の河川が決壊し浸水します。
この状況の中、7月1日を迎えます。県災害対策本部は「水害の直後であり、福岡市だけがお祭り気分に浸るのはどうかと思う。舁き山笠行事は自粛中止すべきだと思う」と申し入れがあり、開催是非をめぐって論議となりました。
これにより役員会で、同年の山笠行事は10日夕刻のお汐井とり、11日朝山笠、12日追い山笠ならし、十五日追い山笠だけとなり、直会も自粛となりました。
また各流の有志が那珂川の番托井堰に出動、当時の保安隊などと一緒に井堰の復旧作業に従事しました。いわゆる災害ボランティア活動です。同井堰の復旧には、市内西部の田植えが出来るかどうかが掛かっていたため、各流から1000人が水法被姿で、一生懸命にトロッコを押し、シャベルを振るったそうです。
その甲斐があって無事復旧。昭和30年3月、番托井堰のそばに「番托井堰復旧碑」が建てられました。この山笠参加者の労働奉仕に感謝の意が表され、碑には「急ヲ聞イテ共ニカヲ致ス者、博多山笠振興期成会、保安隊等挙ゲテ数フルベカラズ」と彫られています。
現在は井堰の他にも番托取水場が作られており、半世紀前の大災害が起きたこともわからないぐらい、那珂川の水が滔々と流れています。
| 住所 | 福岡市博多区竹下1-18-17 |
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