(撮影協力、映像撮影&編集:Moriyan_Film)
いよいよ博多祇園山笠行事のフィナーレとなる「追い山」の日となりました。6月1日からの一ケ月の準備期間を経て7月1日から始まった博多祇園山笠。様々な神事・行事を行って重ねた15日間。途中台風に襲われたり梅雨が明けるなど、天候にも翻弄されましたが、無事全ての流がここまで全ての行事を執り行うことができました。そしてその集大成ともいえる奉納神事「追い山」の日を迎えることとなりました。
※7/17 追い山が始まる前から終わった後を追ったダイジェストムービーを公開しました。レポートの最後に掲載しましたので、レポートと合わせてお楽しみください。
流舁きを終えた3時間後。博多の町は静かに追い山の準備に入っていました。大博通り沿いにはテレビ中継車がスタンバイしていました。
櫛田神社の外では見物の場所取りが、清道の方では先ほどまで行っていた歌謡ショーの片付けも終わり、清道内にライトが照らされます。
各舁き山、飾り山はまだまだ動きはありません。
午後9時。上川端商店街内にある川端ぜんざい広場の飾り山が解かれ始めました。この飾りや2017年のもので、本日の追い山が終わると新しく今年の上川端通の飾りがこの飾り山に飾られます。
話題になったスターウォーズの飾りもこれで見納め。次々と人形が外されて山笠から降ろされていきます。。
午前0時。日付は変わり「7月15日」に。各山小屋や詰所で準備が少しずつ始まります。
各流では、準備完了を伝える「もーろーろー」が開始。詰所に参加者が集まり、いよいよ慌ただしくなってきました。
千年門の斜め前にあるD&DEPARTMENT FUKUOKAでは、山笠オールナイト営業が0時よりスタート。開店を待っていたお客様が列を作って待っており、開店早々賑やかな店内となりました。
櫛田神社の前も見物客でどんどんにぎやかになっていきます。
午前1時15分。今年の一番山笠 西流が冷泉公園の横に舁き山を据える山列入りを行うため、出発しました。
山列に入った西流は、列を作り掛け声入れながら櫛田神社に参拝を行いました。
午前1時半を過ぎると、各流が山列に次々と入ってきます。この山列入りから一気に冷泉公園一帯の人の数がぐんと増えます。
舁き山が据えられると、各流で手打ちが始まります。あちらこちらで、オッショイの声と、オイサの声が響き、流や町に関係なく全員から拍手で迎え入れられます。
一方、市内に建てられた飾り山は次々と解かれていきます。博多祇園山笠では、追い山が始まる時間の前に、櫛田神社の飾り山を除いたすべての飾り山は解かないといけないならわしがあるのです。追い山までにすべて解かないといけませんので、人形師や山大工らは大急ぎで転々と飾り山を解いて回ります。
午前4時50分。真っ暗だった空がうっすらと明るくなってきます。雲一つない空。今日も暑くなりそうです。
櫛田神社の清道内には男衆が立って舁き山が回る壁を作り、追い山の時間は今か今かと待っています。能舞台に櫛田神社の宮司が着座し、いよいよその時が近づきます。
4時59分の太鼓の前に、西流の子供たちが招き板をもって清道内に入ってきます。能舞台に向かって力強い口上を述べ一礼すると、桟敷席内から大きな拍手が沸き上がりました。
ざわざわしていた桟敷席でしたが、櫛田入り1分前のアナウンスが告げられると、すぅっと潮が引くようにざわざわ感が静まっていきます。時計係は慎重に時間を計測。そして・・・
太鼓の音と男衆の鬨の声と共に、西流の舁き山が清道内に駆け込んできました。2018年の追い山のスタートです。桟敷席の見物客からは感嘆の声が上がり拍手で西流を迎えます。
清道旗をぐりと回ってから能舞台に山を据え、一番山のみに許された誉「祝いめでた」が謳い上げられます。西流だけでなく、清道に入っている他の流の男衆、そして桟敷席の見物客も共に唱和しました。
謡い終わると、「ィヤアアア!」の声と共に再び舁き山は動き出し、一気に清道の外へ。西流の舁き山が博多の町に出発しました。
西流の櫛田入りが終えると、5分おきに各流が清道内に駆け込み、清道を回った後、次々と博多の町へ飛び出していきます。
七流の櫛田入りが終わると、いよいよ「走る飾り山」八番山笠上川端通が登場。巨体を揺らしながら櫛田の銀杏をうまくよけつつ清道廻り。その力強さに、見物客も圧倒されます。スモークを吐きながら、上川端通の山笠も国体道路に飛び出していきました。
櫛田入りを終えると、最初に迎えるのは2本目の東長寺前の清道旗。櫛田入りを終えた西流は、東長寺の住職に「鉄砲」と呼ばれる山笠の指揮棒を顔前で横にして拝礼する「目一本」を行いながら、清道旗を巻くように180°ターンを行って承天寺に向かいました。
承天寺の清道廻りを行うと、舁き山は道幅の狭い旧東町筋を男衆達の手によって進められていきます。
各流も旧東町筋を北上。沿道には迫力ある舁き山のスピードを見ようとぎっしり詰めかけています。舁き山は魚町の下り坂を一気にくだりきり山足と呼ばれる山笠のスピードがさらにアップ。参加者もそのあとに続いていきます。その光景は法被のじゅうたんのようです。
道幅が広い大博通りは見物しやすいスポットのため、沿道にはたくさんの人が詰めかけ山笠の勇壮な姿を楽しんでいます。舁き山は朝焼けの中を進み、一路旧西町筋を目指します。
再び道幅が狭い旧西町筋を北上していく舁き山とそれを運ぶ参加者。勢い水をたっぷり浴びながら昭和通りを横切り、追い山終盤となる奈良屋地区へ。ここまで全力で走り、何度も方に舁き棒を当てて舁き山を運んだ参加者は疲労困憊ですが、いよいよゴール地点である「廻り止め」がある須崎方面に向かいます。
舁き山は、折れ曲がるように次々と角を曲がっていきます。
そして最後の角を曲がると、目に入ってくるのは白抜きの「廻り止め」の文字。疲れきった体に再び力を籠め、力強い「オイサ!」の声を上げて自らを鼓舞つつ、舁き山を運んでいきます。
そして「廻り止め」の看板に到達。約5.5キロを駆け抜けた参加者の顔には満足感と安堵感が溢れます。すぐに全コースタイムも発表されますが、その結果にゆっくり一喜一憂する時間はありません。自分たちの山小屋に舁き山を戻すため、再び体に力を籠め、舁き出していきます。
こうして七流すべてが廻り止めに到着ししました。
七流と上川端通の櫛田入りの奉納が終わると、櫛田神社では櫛田入りの荒々しい神事で荒ぶった神を鎮めるために、「鎮めの能」を能舞台ですぐに行います。これにより追い山行事はすべて終了し、無事奉納が終わりました。
鎮目の能が終わると、櫛田神社は片付けに入ります。飾り山のある流れは深夜に解いた山笠の舁き棒を櫛田神社に返却したり、清道の旗も下ろされまた一年間保管されることになります。
廻り止めに到達した西流は山小屋へ。山小屋に到着すると、山小屋の前に台を据え、舁き山を前後に浮かして揺らす「山揺らし」を行いながら、祝いめでたを参加者全員で謳い上げます。
そして手一本を入れ終わったと同時に、参加者らが舁き山の舁き山の飾り山に飛びつき壊し始めました。「きれいに祭りを終わらせる」という古来の山笠のならわしである「山崩し」で、現在は西流だけが継承している行事です。壊した飾りを持ち帰ると一年間無病息災と言われており、男衆は勇壮で自慢だった自分たちの流の山飾りを遠慮なく引き引きちぎり、山笠台から全ての飾りを降ろし、西流の一番山の務めは西流のならわしでしっかりと締め、その伝統を奇麗に継承しました。
土居流では、当番町の上新川端町が山小屋で人形を下した後、受取町(来年の当番町)である行町に、山笠台を持っていく受取行事を行いました。飾りが乗っていない山笠台を舁いて、行町まで持っていきます。
中山総務が行町に目録を手渡し、山笠台は無事来年の当番町に受け継がれました。
その後、当番町の役員は各町に走って御礼挨拶を行い、今年の山笠の無事奉納の報告と感謝の気持ちを各町に伝えました。
本年度の追い山レポートは以上です。
ここで紹介した流や町以外でも、すでに来年に向けて「継承」がきっと行われてるのでしょう。また、今年は新しい歴史の1ページや、久しぶりに復活した行事などを見ることができました。
今年で777年目を迎えたと云われる博多祇園山笠。その数字は「過去」ではなく、毎年無事奉納を考え伝統継承を行うという博多の人たちの目が常に「未来」を見ていたからこそ積み上げることができた数字なのではないか、と感じます。今年の山笠は「平成最後の山笠」ではなく「新しい年に向けての山笠」という事を感じた、本年の博多祇園山笠でした。無事奉納おめでとうございます。
(撮影&編集:Moriyan_Film)
・西流 31秒01
・千代流 31秒22
・恵比須流 33秒77
・土居流 35秒72
・大黒流 34秒24
・東流 30秒69
・中洲流 37秒78
・上川端通 60秒24
・西流 31分14秒
・千代流 29分00秒
・恵比須流 31分52秒
・土居流 30分43秒
・大黒流 29分26秒
・東流 29分17秒
・中洲流 33分18秒