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菅原道真公は幼名を阿呼(あこ)と呼ばれた頃より学問に秀で、長じて右大臣に任ぜられ、活躍しました。ところが讒言により大宰府に左遷されます。見かねた老婆が梅の枝に刺した餅を差し入れたそうです。菅公は失意の中でも、門弟の味酒安行(みさけやすゆき)公と共に国の平安を祈り続け、天から「天満大自在天神」の尊号が届き、後に「天神さま」と崇められました。
[人形師:中村信喬]
大宰府に左遷された菅原道真公が失意の中で亡くなると、京都では左大臣藤原時平をはじめ菅公を追い落とした有力者が次々と急死しました。ある日、内裏の殿舎、清涼殿に雷が落ち、藤原清貫(ふじわらのきよつら)や平希世(たいらのまれよ)、美努忠包(みぬのただかね)らが亡くなりました。人々は菅公の怨霊と恐れ、菅公は神として祀られるようになりました。
[人形師:白水英章]