" /> 2013年 天神一丁目 – 流の紹介・山小屋マップ

流の紹介・山小屋マップ NAGARE INFO & YAMAGOYA MAP

2013年 天神一丁目

飾り山(表)

標題

起死回生尊氏陣

(きしかいせいたかうじのじん)

『太平記』で有名な室町幕府の初代将軍・足利尊氏は人望厚き武者だったようです。乱れた武士の世を正す為、鎌倉幕府に見切りを付けて後醍醐天皇に味方し、幕府を倒します。
しかし、公家中心の政治を進める後醍醐天皇と対立し、一転追われる身に。そして起死回生を賭け、軍勢を率い、弟の足利直義とともに九州に下ります。撤退の途上、光厳上皇から院宣を受け、九州では少弐頼尚ら有力武将を持前の人望で味方につけ、建武3年(1336年)筑前・多々良浜で肥後の菊池武敏の大軍と激突します。尊氏軍は少数ながらも菊池軍を撃破し、その勢いで一気呵成に京に攻め上がり、やがて幕府を開きます。勇猛で人を大事にし、人から慕われた尊氏を表現してみました。

[人形師:中村信喬]

飾り山(見送り)

標題

正成千剣破城誉

(まさしげちはやじょうのほまれ)

「大楠公」と敬慕された楠兵衛尉正成は『太平記』を彩った名将で、義の人だったといわれています。もともとは河内の土豪で、後醍醐天皇に出会ってからは一貫して忠誠を尽くし、武将としての知力、胆力を発揮しました。
千剣破城(千早城)の戦いは、元弘3年(1333年)、後醍醐天皇の討幕運動に呼応した正成を、幕府勢が包囲した戦いです。正成の籠る河内の千剣破城に幕府軍の阿曾弾正弼、名越越前守、大仏高宣、金沢貞将らの大軍が攻めかかります。しかし、正成は石や丸太を崖から落とし、わら人形に甲胃を着せて敵の矢の的にし、刺さった矢を使い回すなどの奇策を用いて徹底抗戦しました。正成が身を以て示した義の大切さや優れた知略を感じてほしいとの思いを込めました。

[人形師:白水英章]

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