博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

飾り山(笠)(かざりやま(かさ))

山笠において奉納するために飾られる山笠。『飾り山笠』とも呼ばれる。
正式には『飾山笠』ではあるが、『飾り山笠』『飾山』『飾り山』とも呼ばれる。一般的には『飾り山』と表記・呼称されることが多い。

高さは10~15メートルに及ぶ奉納のための観賞用の山笠である。番外の櫛田神社の飾り山も含め、全14基が福岡市内に飾られる(※2019年時点)。
舁き棒が取り付けられているが、観賞用のため舁かれることはない=動かない山笠である(※ただし八番山笠 上川端通の”走る山笠”は除く)。しかし山笠を知らない人からは八番山笠以外の飾り山を見て「これが動くのか」と勘違いされることが多い。

外に飾られる場合は、風雨から守るため飾り山を取り囲むように山小屋が作られるが、屋内に展示される飾り山は山小屋が作られない。そのため山小屋に入る飾り山は側面は飾られないのだが、屋内の飾り山は四方共に飾り付けられた「四面飾り」の飾り山となる。

飾り山の飾りには伝統的な決まりがあり、
(1)飾りは下から頂上まで「道」「橋」「水」などで繋ないといけない
(2)山の番号が奇数の山はは勇壮な飾り付けの「差し山」、偶数は優美な飾り付けの「堂山」にする
・・・という決まりに則って飾り付けがされている。

昔は「飾り山」は作られておらず、舁き山が飾り山と同じサイズの山だったのだが、明治の近代化により電線や路面電車の架線が町中に張り巡らされるようになると、背の高い舁き山が架線を切ってしまう事が大問題になり、それを受けて明治31年(1898年)当時の福岡県知事が博多祇園山笠の開催中止を提議されてしまう。それをきっかけに、舁くための背の低い『舁き山』と、据えて見物するための背の高い『飾り山』の2つの山笠に分離させる事となり、飾り山が登場する事となった。

飾り山の「飾り」

飾り山の飾りは、人形師と設置場所の団体との打ち合わせによって決定する。
多くの飾り山の表は、歴史物が選ばれる事が多い。主に『その年の大河ドラマ』『博多に関係する武将や歴史上の人物』『日本神話や昔話』から選ばれる事が多い。

逆に見送りは設置場所の意向が反映され自由闊達なテーマが多く採用される。そのため、飾り山によっては見送りにアニメやテレビ番組などをモチーフにした飾り山が恒例になっている飾り山もある。
このルールが逆になるのは福岡ドームの飾り山で、表が福岡ソフトバンクホークス選手が、見送りが歴史物の飾りになっている。

この見送りの山笠人形の流れを変えたのは、昭和29年(1954年)十二番山笠・新天町の飾り山の見送り。
この年の新天町の飾り山の見送りが、フランス童話「シンデレラ」だった事から、「歴史」か「話題」かという山笠人形論争が巻き起こった。
ただ、この「シンデレラ」の登場により、現在の自由な標題の登場を生み出す大きなきっかけになったのは間違いなく、これを機に童話やアニメ、テレビ番組などから様々なキャラクターが飾り山を飾るようになる。この風潮には「あまりにも商業過ぎる」などの批判も出たが、昭和40年の西日本新聞に於いて「飾り山はその時の流行を端的に反映しているといえる。この意味から今の飾り山に鉄腕アトムや西鉄ライオンズの飾り山が合っても決して伝統に逆らう物ではない」と援護の記事が出ており、21世紀になった今も華やかで楽しい飾り山が登場し続けている。

なお、昭和29年はもう一基問題を呈した飾り山が登場している。十三番山笠・因幡町の飾り山の表は「地獄極楽」、見送りは「阿鼻地獄図」だった。これは前年に起こった大水害の犠牲者を弔うというテーマから、飾り山の前には賽銭用の釜が備えられ線香が焚かれたのだが、こちらも前代未聞の飾り山として論争が巻き起こった。

飾り山の常時設置

7月15日が終わると飾り山は取り壊されてしまうが、博多総鎮守・櫛田神社の境内に番外の飾り山が、川端商店街内にある川端ぜんざい広場にその年の上川端通の飾り山が常時飾られている。
また、8月以降に九州国立博物館にて天神一丁目の飾り山が飾られる。

ビッグイベントでの飾り山設置

上記の常時設置以外に、市内での大きなイベントが開催される等、特別な空間や特別なイベントが行われる場合、飾り山が立てられることがある。
2022年直近では、2021年に九州産業大学の60周年記念として東流の飾り山が九州産業大学に建てられた